コロナ禍に生きる私たちに必要なのは「フェアプレー」。スポーツが教えてくれる、日常をもっと良くするためのヒントとは(前編)

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コロナ禍に生きる私たちに必要なのは「フェアプレー」。スポーツが教えてくれる、日常をもっと良くするためのヒントとは(前編)

意外と知らない、「フェアプレー」

皆さんも「フェアプレー」という言葉を、一度は聞いたことがあるのではないでしょうか?特にスポーツシーンではよく耳にしますよね。JSPO(日本スポーツ協会)は、「フェアプレー」には2つの意味があると考えています。

1つ目はルールを守り全力を尽くしてプレーする「行動のフェアプレー」。そして、2つ目はスポーツの場面に限らず日常生活の中でも自分の良心に従って判断できる「精神のフェアプレー」です。

「行動のフェアプレー」は、言葉のとおりその人の行動として表れるので、目で見て理解できます。一方、「精神のフェアプレー」は自分の心のあり方そのもの。

例えば皆さんは、日常のこんなシーンに出くわしたことはないでしょうか?
・階段で重い荷物を運んでいる高齢者に声をかけて、荷物を代わりに運ぶ。

・電車やバスで妊婦さんや高齢者に席を譲る。

・点字ブロックの上に置いてあった荷物を、誰も見ていなくてもそっと動かす。


これらは「精神のフェアプレー」が発揮された例だといえます。冷静に考えれば当たり前に感じられるかもしれない「フェアプレー」ですが、だからこそ、その大切さをあらためて認識する必要があります。
通常、スポーツにおける「行動のフェアプレー」は守るべきルールや尊重すべき対象(審判や対戦相手・仲間)が明確です。対して、日常生活における「精神のフェアプレー」はルールがなく個人の価値観に委ねられる場面が多いため、どのような言動をすべきか迷う場面が多々あることも、フェアプレーの大切さが忘れられがちな理由の一つです。

現に、

・発熱や咳など、コロナウイルスに感染している疑いがあるのに、マスクをしない、不要不急の外出をしてしまう。

・過度にソーシャルディスタンスを取ることにこだわり、少しでもルールを守らない人に匿名の批判が集まって、コロナ感染者が差別され孤立している。


など、コロナウイルスの感染拡大にともない、意図的ではないかもしれませんが自分勝手で他者への影響を考えないと思われる行動や、他者の行動を必要以上に批判する人が出てきているのを、皆さんも目の当たりにしていることでしょう。

他人に対しても自分に対しても心を広く持つ余裕がない、そんな「不寛容な社会」になりつつあるからこそ、スポーツをする時だけでなく、私たちの日常生活においてもフェアプレーを意識することが非常に重要な意味を持ってくるのです。

行動も精神も。フェアプレーに大切なのは「リスペクト」

根底にあるのは相手への尊敬の念

フェアプレーに明確な正解はありません。言い換えれば、フェアプレーは単にその人の行動の善し悪しを判断するための基準ではないということ。

フェアプレーの根底には、相手への尊敬の念=「リスペクト」があります。スポーツの世界でフェアプレーが重視されているのは、お互いがお互いを尊敬していることを前提に、ルールという約束事を守り合うことでスポーツが成り立っているからなのです。

どうしたら相手をリスペクトできる?

一方、スポーツの試合で勝利を勝ち取るために感情的になり、意図的なファウルを行っているのを見たことがある人もいるでしょう。

そこにはスポーツ界の「勝利至上主義」や、“わかってはいるけどみんなやってるし…””ここでやらないと監督やコーチに指摘される“、といった「同調圧力」が隠れています。

ですが、2020年テニス全米オープン女子決勝戦での発言のように、スポーツは「人 vs 人」の争いではなく「技術 vs 技術」の競い合いであるということを意識すれば、勝っても負けてもお互いを「受け入れ」称え合い、リスペクトすることができるはずです。
2020年テニス全米オープンでの決勝戦。負けたアザレンカ選手は「負けたのは悔しい」と言いつつも、逆転勝利した大坂なおみの栄誉を全力で称えた。一方、大坂選手も「幼少期からあこがれていた選手と戦えて、たくさん学ぶものがあった。ありがとう」とお礼を述べた。

スポーツにおいては、競争相手だけでなく、支えてくれたチームメイトはもちろん、試合を公正にジャッジしてくれた審判、エールを送ってくれた観客へリスペクトの気持ちも非常に大切です。

このように、スポーツにおけるフェアプレー精神には、日常生活でも相手を尊重した言動ができるようになるためのヒントが隠されています。では、日常生活でも大事なフェアプレーが、なぜスポーツ界において殊更重要視されているのかご存知でしょうか?その秘密は後編でお伝えします。

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