コロナ禍に生きる私たちに必要なのは「フェアプレー」。スポーツが教えてくれる、日常をもっと良くするためのヒントとは(後編)

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コロナ禍に生きる私たちに必要なのは「フェアプレー」。スポーツが教えてくれる、日常をもっと良くするためのヒントとは(後編)

何事も「楽しむ」にはフェアプレーが不可欠

なぜスポーツにはフェアプレーが必要なの?

前回の記事は、フェアプレーという言葉の概要を見てきました。では、なぜ相手を尊敬するフェアプレーがスポーツにとって欠かせない要素なのでしょうか?

その理由は、フェアプレーを遵守しないスポーツは、単純に「面白くないもの」になってしまうから。実はスポーツの面白さを紐解くと、2つの「遊び」の大原則が隠れています。

①「ルールを守らない」と面白くない・楽しくない

②「皆が楽しくない」と面白くない・楽しくない

スポーツをする人は、これらの原則を無意識に理解し、ルールを守り、個性と適性に応じて楽しめるように工夫しています。

例えば、やんちゃで校則も守らない、いわゆる“不良“であっても、サッカーをするときは皆自然にしっかりとルールを守る。それは、「ルールを守らないとつまらない」、「仲間の判断を尊重し、互いを理解して連携を深めたほうがより楽しくなる」、「個性や適性に応じてポジション配置などを工夫することで、自分の特性を発揮し、皆が楽しめるようになる」ことを潜在的に知っているからなのです。

フェアプレーに対するJSPOの考え

このように、スポーツは「楽しい」からこそ成立し、その楽しさにはフェアプレーが必要不可欠です。

JSPOとJOCは2011年に創立100年を迎えたことを契機に、「スポーツ宣言日本」を起草・採択しました。ここでは、この100年間で国内スポーツが歩んできた歴史を振り返るとともに、次の100年の方向性を示しています。

そんなスポーツ宣言日本でも、「スポーツは健康や平和のための手段ではなく、スポーツそれ自体が目的」 ということを第一前提として位置づけています。

スポーツがさらに発展し、面白いものであり続けるためには、トップ選手もスポーツ愛好者も関係なく、皆が楽しめる世界観を作っていく必要があるのです。

「知っている」だけじゃ「行動」に移しづらいのがフェアプレー

フェアプレーには「行動」「精神」の2種類があり、その根底にはどちらも「リスペクト」があることはすでにお伝えしました。

ですが、フェアプレーに基づく行動がどのようなものか頭では分かっていても、いざ実際に行動しようとするとどうしたらよいかわからずためらってしまうこともあります。では、日常においてもスポーツにおいても、こうした理解と行動のギャップを埋めるためにはどのようにしたらよいのでしょうか?

環境に左右されない自制心を身につける

「リスペクト」が欠如してしまう根底にはスポーツ界全体としての「勝利至上主義」や、「同調圧力」があります。

これらをはねのけ、自分の心にしたがってフェアプレーを実行するには、勝利への欲望や衝動、誘惑、周囲からの圧力といった外的・内的環境に左右されない「自制心」を持つことが重要です。

誘惑や衝動に直面した際は、自分の欲望や感情、行動をコントロール(統制)する方法ややり方、決まりごとを身につけることで、「自制心」は次第に育っていきます。

第三のフェアプレーの考え方

また、「精神のフェアプレー」と「行動のフェアプレー」の間には、「ものの見方・考え方としてのフェアプレー」が存在しています。両者はそもそも別の考え方ですが、どちらが欠けていても本当の意味でのフェアプレーは成立しません。
そんな両者をつなぐのが「ものの見方・考え方としてのフェアプレー」です。平たく言えば、フェアプレーという思考パターンで物事を考えるということ。この思考パターンを身につけることで、「精神としてのフェアプレー」と併せてフェアプレーを行動に移すことができるようになるのです。

「ものの見方・考え方としてのフェアプレー」は、こうした理解と行動のギャップを埋め、実際の行動としてフェアプレーを実践するための手助けとなります。

どうしたら皆が気持ち良く行動できるかを考える

フェアプレーを自然と行動に移すためには、スポーツ、日常にかかわらず様々なシチュエーションにおいて、「ものの見方・考え方としてのフェアプレー」の考え方を徹底的に磨いていくことが大切です。ポイントは次の2つ。

①事前にどのような行動を取るべきか自問する

フェアプレーを実行できるシチュエーションで、自分の行動をシミュレーションしてみましょう。そうすることで、考えうる最善の行動を取捨選択でき、自分・他人両方にとって清々しい気持ちを感じる体験ができるはずです。

サッカーの試合前日、自分にとって明日の試合は何が目的なのかを自問自答する。思い浮かんだ「勝つ」、「全力を尽くす」、「試合後に清々しい気持ちを感じる」を、実現するために必要な具体的行動は何か?素晴らしいプレーが生まれたら、たとえ相手でも「ナイスプレー」と言ってみよう!

②相手の視点、第三者の視点に立って俯瞰的にものごとを考える

行動の取捨選択は、客観的に自分を判断することでも可能です。第三者視点で自分を見つめ直すことについては、能楽の基礎を作り上げた世阿弥が言うところの「離見の見」(観客の立場になって自分を見ること、客観的な視点をもつこと)でもその大切さが説かれています。

・家でアイスクリームを食べようとしたら、小さな弟が羨ましそうな顔をして見ていたので分けてあげた。弟の顔に浮かんだ満面の笑みを見て、なんだか自分も気持ちが良かった。

・通学中、おばあさんが一人で重たいものを持って階段を登ろうとしていた。階上まで荷物を運んだときに、「ありがとう」とお礼を言ってもらえたことがとても嬉しかった。

・家族で出かけていると、電車で息子がはしゃいだ。親としてただ叱るのではなく、他の乗客の気持ちを考えるように諭したところ、自分から静かになった。

フェアプレーはお互いを尊重しあえる社会への"カギ"

フェアプレーの「相手に敬意を払う姿勢」は、相手を受け入れるゆとりを心に宿し、笑顔あふれる優しい社会をつくるカギになります。

前回と今回の記事で見てきたフェアプレーの考え方が、見えない不安でピリピリしたムードが続く今の生活を、不寛容な社会とも映る状況を、少し和らげてくれるヒントになるはず。

コロナ禍で起きる相手へのリスペクトを欠いたケースも、フェアプレーの精神をもってすれば、他人にウイルスを感染させないよう自発的に工夫できたり、感染者を責めるのではなく励ますような言葉をかけられたりするのではないでしょうか。

ここまででお伝えしたように、フェアプレーに明確な正解はありません。だからこそ様々な経験の中で、「フェアプレーとは何か」ということを、常に考えつづけることが大切です。そのことを一人ひとりが意識すれば、社会も変わっていくでしょう。

フェアプレーにはこうした可能性が眠っています。皆さんも日常生活であなた自身の"フェアプレー"を見つけてみてください。