【ボクシング・田中亮明選手インタビュー】 相手に勝ちたいと思うからこそ自分を高められる。対戦者にはつねに感謝しているんです

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【ボクシング・田中亮明選手インタビュー】 相手に勝ちたいと思うからこそ自分を高められる。対戦者にはつねに感謝しているんです
母校である中京高校で社会科の先生として教壇に立ち、放課後の部活動ではかつてご自身も所属されたボクシング部の監督として生徒を指導する田中亮明選手。教師と選手という二足の草鞋でオリンピックへの道を歩み続け、見事「東京2020オリンピック」に出場。男子ボクシングで銅メダルを獲得しました。

田中選手の2つ下の弟は、プロボクシングで世界チャンピオンにまで上り詰めた田中恒成選手。そんなお二人に強くなってほしいと空手やボクシングの道に導いたのはお父さん。オリンピックという目標に親子で挑んだ田中選手に、ボクシングを始めたきっかけや、ボクシングの魅力などについてお話を伺いました。

空手の打撃技術向上のために始めたボクシング、もともと興味があった

--ボクシングを始める前は空手をされていたそうですが?

まず5歳(幼稚園の年長)のときに2つ下の弟と一緒に空手を始めました。ちょうど近所の公民館で空手教室が始まるタイミングで父に連れて行かれたことがきっかけです。父は大阪出身で辰吉丈一郎選手のファンだったこともあり、子どもたちには、とりあえず強くなってほしかったみたいです。
ボクシングは中学1年のときに始めたのですが、このときは空手の打撃技術を向上させる目的でボクシングジムに入会しました。その頃は、長谷川穂積選手や亀田興毅選手たちがプロボクシングのリングで活躍されていて、僕自身も好きでよく見ていましたし、もともとボクシングには興味があったので、自分からやってみたいと言いました。

--空手とボクシングの違いは?

もちろんルールの違いはありますが、空手の場合、小学生だと階級別(体重別)ではなく学年別に対戦相手が決まります。僕は中学に入学した頃で身長140cm、体重30kgちょっとしかなく、同学年には明らかに自分よりも大きい選手がいて、そういう選手たちとも戦わなければなりませんでした。
ボクシングの場合、階級が細かく分かれていて、対戦相手は自分とほぼ同じ体重の選手になるので、対格差によるプレッシャーを感じることはありません。空手では自分よりも大きい選手と対戦していたことで、気持ちでは負けないという精神面はだいぶ鍛えられたと思います。

--ボクシングでの戦いはどうでしたか?

階級別で戦うボクシングであれば、体格面でも相手と対等の条件で戦えることもあって、負けるわけがないと思っていました。ところが中学3年のとき、ある試合で負けてしまって…。今考えるとちょっと甘く見ていた部分があったんだと思いますが、とにかくその敗戦が悔しくて。
僕は右利きなので、空手の頃から左手を前にして構えるオーソドックススタイルで戦っていましたが、この敗戦を機にボクシングの戦い方などを研究するようになり、現在のサウスポースタイルになりました。

目標は大きいほうがいい。掲げた目標に応じて、練習の取り組み方などが変わってくる

--ボクシングを始めたときからすでにオリンピックを意識していましたか?

空手をしていたとき、弟は何度も日本一になっていますが、僕は日本一にはなっていません。そのため、ボクシングでまずは日本一になりたいと思っていました。
僕が中学3年、弟が中学1年になる頃には兄弟で取材を受けるほど地元では名を知られた存在になっていました。よく「将来の目標」について聞かれ、弟が「世界チャンピオンになる」と答えるのに対し、僕は毎回「インターハイで日本一になる」と答えていたのですが、あるときジムのトレーナーから、もっと大きな目標を掲げることを勧められました。
目標は自分が頑張ることの原動力になるし、敢えて大きな目標を掲げることで、自分の意識や練習への取り組み方なども変わってくるというアドバイスを受け、以来、「オリンピック出場」を目標に掲げるようになりました。

--田中選手は国体にも出場されていて大会四連覇を達成されていますね

はい。高校2年のときに出場した千葉国体では準優勝したのですが、これが全国大会で初の入賞だったのですごく嬉しかったのを覚えています。そして翌年、高校3年で出場した山口国体(第66回大会)で初優勝。初めて日本一の称号を手にできたので、僕にとって国体はとても思い出深い大会と言えます。その後、第69回大会まで国体四連覇を達成することができ、自分にとって大きな自信にもなりました。

--ボクシングで(勝つために)大事にされていることは?

僕は「カッコつける」ということを大事にしています。カッコつけるというのは、実際は緊張してビビッていたとしても、そういった様子を悟られないように平然を装うこと、自分の弱い部分を見せないようにすることなんです。
リングの上でどれだけカッコつけられるか、要は平常心を保っていられるか、そこは特に大事にしています。

高校時代のボクシングが僕の基礎というか、あの空間で習ったことが僕の基盤になっている

--生徒にボクシングを指導するうえで大切にしていることは?

僕が中京高校ボクシング部の選手だったときに監督だった石原英康先生(元東洋太平洋王者)から、「挑戦する」こと、「ベスト(全力)を尽くす」ことの大切さを学びました。
ボクシングは対戦相手がいるけれど、まずは自分に勝つことが大事であると日頃からおっしゃっていて、強い相手と対戦するときは、正直怖いと思うこともあるが、それに立ち向かっていくのがボクシングという競技。
練習でも、しんどいし嫌だなと思う自分の弱い気持ちに打ち勝っていくことで、いざリングの上で相手に勝てるようになると、よくおっしゃっていましたし、試合で負けたとしても、ベストを尽くした選手を褒めてくださいました。
僕自身、大学で技術を磨き、その後はオリンピックに向けて父と練習してきたことで自分のボクシングのレベルはアップしていますが、やっぱり高校時代のボクシング、あの空間で学んだことが僕のボクシングの基盤になっています。
当時と比べて練習メニューなど多少の変更はありますが、僕が日頃生徒に言っていることは、僕が石原先生に言われてきたこと。
石原先生が僕のことを褒めて伸ばしてくれたように、僕も生徒のことを褒めて伸ばしてあげたい。あきらめそうな生徒がいたときは、一緒に頑張っていくことを心がけています。

--指導者と選手の信頼関係の大切さが伝わるお話しですね

そうですね。やっぱり信頼が大事だなと思います。誰が言うか、生徒からしたら誰に言われるか、というところが重要で、そのために僕も生徒にとって信頼される監督(指導者)でないといけません。
その信頼関係があるから、僕の言うことを聞こうと思ってくれるし、僕の言葉が選手たちの頑張りを後押しできるようになると思います。

--ボクシングの練習はかなりハードなイメージがありますが

はい。実際のところボクシングの練習はかなりしんどい部分もあるので、なかにはボクシング部を辞めたいという生徒も出てきます。

僕はそういう生徒になんとか試合を経験させてあげたい。

試合をしてボクシングの面白さや勝つことの喜び、負けたときの悔しさを味わうことで、それが次のモチベーションにつながって、それまでしんどいだけだった練習にも、前向きに向き合えるようになるんです。

--現在、母校の中京高校で社会科の教師をされていますが、教師を目指したきっかけは?

ボクシングを続けたいと大学進学を考えていた際、石原先生から「大学に行くなら教職をとっておいたほうがいい。将来的に指導者の道を選ぶこともあるかもしれないから」と言ってもらったことが、僕が教師を目指すきっかけとなりました。
大学を卒業するタイミングで母校の中京高校から声をかけていただき、オリンピックを目指しながら社会科の先生として勤務することになりました。

家族以外にも応援してくれる人がいる。初めて心の底から感謝する気持ちが生まれた

--お父様は空手やボクシングについてかなり勉強されたようですが

父はもともと柔道をしていたのですが、空手やボクシングの経験はなく、僕らが空手を始めたときに一緒に道場に入会して、最終的には黒帯を取得してその道場の師範にまでなりました。
僕らがボクシングを始めると、今度はボクシングのことを勉強して、今では弟が所属するジムで、ボクシングのトレーナーになるなど、父は僕らのために一生懸命勉強(研究)してくれていたと思います。
父は空手の師範をしていたときには、日本チャンピオンを育てていたし、遠方から父に教えてほしいという子どもたちもいました。厳しい面もあったけれどけれど、選手を褒めてのせるのが上手でしたね。
僕にとっても父は身近で頼れる存在だったので、東京オリンピックがコロナの影響で一年延期になり、その一年間で自分がどれだけメダルに近づけるかと考えたとき、父に相談してボクシングをもう一度教えてもらおうと思い、父のもとで練習を積みました。

--ささえてもらっているなと思う人は?

自分にとって妻の存在は大きいですね。結婚する前から海外にも応援に来てくれていたし、僕も彼女にカッコいいところを見せたいと思って、試合に臨んでいました。
毎日お弁当や食事を用意してもらって、本当に感謝しています。食事に関していうと、僕は普段から同じもの(夜はサラダと牛肉とご飯だけ)しか食べないので、献立を考える上ではラクだったと思います(笑)。
また、祖母は常に僕のファンでいてくれて、写真が載っていない、新聞や雑誌の記録の小さい字だけでもマーカーを引いて、ぺたぺたとアルバムに貼ってとっておいてくれるんです。

--ボクシングを続けてこられて変わったことなどはありますか?

ずっとオリンピックという自分の夢に向かって一生懸命やってきましたが、そのなかで自分を応援してくれる方々がたくさんいるということに気づきました。
僕は、もともと家族は助け合って生きていくものだと思っているので、家族の応援は自然に受け止めていましたが、お世話になっている企業の方たちは、家族という関係でもないのに僕を支えてくださっていますし、それこそオリンピックのときには本当にたくさんの人たちに応援していただいていることを実感しました。

3分3ラウンド(9分間)という短い競技時間に、すべてのテクニックが凝縮されている

写真:本人提供

--ボクシングの見どころは?

僕は、ボクシングの魅力は、芸術的なKOシーンにあると思っています。なぜ芸術的と思うかと言うと、数ある格闘技の中でもボクシングは腕だけ(パンチだけ)で戦うため、そのシンプルさゆえに奥が深い競技だと感じています。
腕しか使えない中での攻防なので、実力が拮抗した選手同士だとなかなかパンチが当たりません。そこを理詰めで攻めて行って倒す。KOシーンが訪れる前段階から緻密に計算されているんです。
いっぽうで、野性味あふれるファイトスタイルの選手もいて、それらタイプの違う選手が戦ったらどっちが勝つのか、そういったワクワクする部分を見てほしいですね。

--アマチュアボクシングの魅力とは?

僕がおこなっているアマチュアボクシングは、試合自体が3分3ラウンドとプロに比べてラウンド数が短く(プロボクシングは3分12ラウンド)、そこにすべてを注ぐため、息つく暇もない激しい攻防が続きます。
また、プロボクシングはいつ誰と対戦するかわかった上でその一戦がおこなわれますが、アマチュアボクシングの場合はトーナメント制のため直前まで誰と戦うかわかりませんし、優勝するためには1回たりとも負けられない。つまり、出場した選手のなかで真のナンバーワンが決まるという面白さがあると言えます。

--激しいファイトから一転、試合後には対戦相手と健闘を称え合う姿が印象的ですが

さっきまで全力で殴り合っていたのに、試合が終わった瞬間に仲良くなるのは本当に不思議な感覚なんです。やっぱり相手がいるからこその試合だし、自分の全力を相手にも引き出してもらっているというか、自分が必死に全力で積み重ねてきたことは、当然相手も必死に全力でやってきていますから。オリンピックの舞台とかだとそこに懸ける想いもなおさらです。
相手の努力がわかるからこそお互いに認め合える。自分に勝った選手には自分のぶんも頑張ってほしいし、自分が勝ったときには相手のぶんまで頑張るという気持ちになります。

--お互いが認め合えるというのは、いいお話しですね

相手に勝ちたいと思うからこそ自分を高められるし、相手がいるから自分が頑張れているので、対戦相手にはつねに感謝の気持ちを持っています。
高校生だと、負けてふてくされてしまうこともありますが、リングにいる間はカッコよく胸を張る、どんな判定でも試合が終わったら相手のセコンドへ一礼をする、ということは自身が指導する中でも特に伝えています。

〈田中亮明選手プロフィール〉

田中亮明(たなか・りょうめい)
岐阜県出身。1993年10月13日生まれ。
岐阜・中京高校教諭
主な戦績:全日本選手権 (2015、2016、2019年)優勝
国民体育大会4連覇(第66回、67回、68回、69回)
2021年東京オリンピック フライ級銅メダル獲得