やっぱりスポーツは楽しくなくてはいけない! 日本スポーツ少年団、益子直美本部長が語る「NO!スポハラ」への想いとは
ささえる
2023年6月23日、日本スポーツ少年団の本部長に就任した益子直美さんは、監督やコーチが怒ってはいけないバレーボール大会を開催するなど、以前から子どもたちが安全に楽しくスポーツができる環境づくりに取り組まれています。
そうした活動の背景にあるのは、自身が経験してきた「スポハラ」(スポーツハラスメントの略)を根絶させたいという確固たる思い。そんな益子本部長に、ご自身が指導する立場になって気づいた“学ぶ”ことの大切さや、現役引退後に改めて体験したスポーツの本来の楽しさなどについてお聞きしました。
そうした活動の背景にあるのは、自身が経験してきた「スポハラ」(スポーツハラスメントの略)を根絶させたいという確固たる思い。そんな益子本部長に、ご自身が指導する立場になって気づいた“学ぶ”ことの大切さや、現役引退後に改めて体験したスポーツの本来の楽しさなどについてお聞きしました。
日本スポーツ少年団本部長就任は、これまでの活動が社会的に認められたと思えた瞬間
日独スポーツ少年団同時交流50周年記念式典でのあいさつ
--日本スポーツ少年団の本部長になられたお気持ちは?
有難いことに、本当によく私を指名していただいたな、というのが率直な気持ちです。私もそれなりに覚悟をもってお受けしましたが、私よりも日本スポーツ少年団のみなさんが覚悟を持って選んでいただいたと思っています。
私はこれまでも「監督が怒ってはいけない大会」を開催するなど、子どもたちのスポーツ指導に関する活動に取り組んできましたが、始めた頃は批判的なメッセージも多く、「お世話になった監督の指導を否定するのか」などと言われてきました。
そんな私にとって、日本スポーツ少年団の本部長に就任したことはすごく大きな出来事で、これまで取り組んできた活動が世の中的に、社会的に認められたと思えた瞬間でした。
--これまで活動されるなかで迷いや葛藤もあったのでは?
「監督が怒ってはいけない大会」は今年で9年目を迎えます。もともと私自身、学生時代や社会人時代に受けた暴言や体罰などの“怒り”を使った指導で大好きなバレーボールを辞めたいと思ってしまった…。現代の選手たちにそんな思いをしてほしくないし、させたくない。そんな想いから活動をスタートさせました。
ちょうど同時期に、ある大学のバレーボール部の監督のお話しをいただいて約2年半、指導の現場に立ちました。自分の経験から選手たちには存分にバレーボールを楽しんでほしいと思う一方で、この子たちを勝たせたい、強くしたいと思ったときに、自分のなかには昭和の時代の“怒り”を使った指導で強くなったという体験があったので、ときにはそういった要素も必要なのではと迷うこともあり、今にして思えば自分自身の軸がブレてしまっていました。
選手たちは、基本的な指導やアドバイスですぐ上達していき、試合にも勝つようになっていきました。そうしていくうちに、徐々に自分の指導の引き出しが無くなっていったのですが、今更恥ずかしいという思いもあり、学ぶことを怠り、結果、私自ら“怒る”指導を使ってしまいました。あれほど自分が嫌っていた“怒る”指導を使ってしまったことで、後悔と自己嫌悪に陥り、私の身体にも変調が起き、最終的には心臓の病気により、ドクターストップがかかってしまいました。
あんなに大好きで始めたはずのバレーボールが、病気を引き起こすまでのストレスになってしまったのはなぜなのだろうと、病院で療養しながら考えたとき、自分の後悔として、自分の引き出しがなくなったときにどうして学びにいかなかったのだろうって。そこで、もう自分は学ぶしかないと思うになりました。
学ぶことで、「勝利至上主義」のもと厳しい指導を受け、スポーツは修行のように叩き込まれた“昭和の呪縛”から逃れられるという思いもあって学び始めることにしました。
学ぶことで、「勝利至上主義」のもと厳しい指導を受け、スポーツは修行のように叩き込まれた“昭和の呪縛”から逃れられるという思いもあって学び始めることにしました。
学びたい気持ちがあれば何歳からでも学べる。学ぶことで気持ちが前向きに、心に余裕も生まれる
日独スポーツ少年団同時交流で参加した日本団団員とドイツでも積極的に意見交換
--具体的にどんなことを学ばれたのですか?
大学院に行ってスポーツ心理学を学ぶことも考えたのですが、病気のことがあって、まずは気軽にできることから始めてみようと思いました。そういえば私は現役時代からメンタルが弱かったなと思い、まずは「スポーツメンタルコーチ」の学校に通ってメンタルの整え方などを学びました。
その後、自分では「監督が怒ってはいけない大会」をおこなっているのだから、“怒り”についても学ぼうと「アンガーマネジメント」を受講し、学んだことをたくさんの人たちに伝えていけるように「ファシリテーター」の資格も取得しました。その後も、相手をやる気にさせる「ペップトーク」や、相手のことを褒める検定試験(「ほめ達」検定)など、楽しみながら気軽に学べるものから始めていきました。
--実際に学んだことで、何か変わったことはありますか?
まず学ぶという姿勢についても、気軽に学んでいいんだと思えるようになったことが大きかったです。学びを得て、少しずつマインドセットができるようになってきて、自分でも前向きにポジティブになれたなと感じています。心にも余裕ができたことで、子どもたちの指導においても、すごく余裕をもって接することができるようになりました。
--怒ってばかりいる指導者さんにもぜひ学んでいただきたいですね?
日本スポーツ少年団の本部長となって、怒る指導者の方たちのマインドセットをどうすればできるかということを考えているのですが、そうした方々においては怒りの種になっている要素が多いのだと思います。例えば、「子どもたちを勝たせてほしい、うちの子どもを起用してほしい」といった親御さんからのプレッシャーや、練習や試合による拘束時間が長いとか、指導者自身が忙しくて食事する時間もとれないとか。
こうしたネガティブな要因を取り除くことができれば、怒ることも減っていくと思うので、そのために日本スポーツ少年団ができる取り組みを考えているところです。
こうしたネガティブな要因を取り除くことができれば、怒ることも減っていくと思うので、そのために日本スポーツ少年団ができる取り組みを考えているところです。
怒る指導者の方を見ていると“無駄な怒り”が多いと感じます。怒らなくてもいいことで子どもたちを怒って、それで子どもたちがスポーツから離れていってしまうということはあってはいけないことだと思うので、そうした指導者の方にはぜひJSPOの公認スポーツ指導者資格の取得を目指していただいたり 、「アンガーマネジメント」、「ペップトーク」などを学んでいただいたり、チャレンジしていただきたいと思います。
--怒っている指導者さんにはどんな声掛けをされますか?
よくお伝えさせていただくのは、例えば「ミス」っていう言葉が怒りを引き起こしてしまっているケースがあること。「サーブミスをするな!」とか「連続してミスをするな!」とか。子どもたちにとっては、「ミス」という言葉に対して脳がそれを思い浮かべてミスをする動作になってしまう。
そこで指導者の方に「サーブミスをするな!と言っているけれど、ではどんなサーブを打ってほしいのですか?」と聞くと、「クロスに思いっきり打ってほしい」と言うんですよ。じゃあ、そのまま言えばいいじゃないですか、と。そういう風にちょっとずつ言葉をかけて、なるべく違う言葉を使えるように声かけをさせてもらっています。
日本と海外のスポーツに対する価値観の違い。 夫の勧めで始めた自転車で、初めてスポーツを楽しめた
Photo by 綾野真・cyclowired
夫の山本雅道さんの勧めでロードバイクを楽しむように
夫の山本雅道さんの勧めでロードバイクを楽しむように
--益子さんは自転車ロードレース選手の山本雅道さんとご結婚されていますが、若いころから海外で競技をされてきた山本さんと、スポーツに対する価値観も違うのでは?
そうなんです。夫から「監督が怒ってはいけない大会」は「なんで怒ってはいけない、というルールをつけなくてはいけないの?」とか、スポーツマンシップについては「なんでいちいち教えているの?相手をリスペクトするのは当然のことでしょ」と言われています。
夫はもともと中高一貫の学校に通っていたのですが、自転車競技をしたくて、自転車部がある高校に転校して競技を始めたんです。でも、顧問の先生も特に自転車に詳しいわけではなく、強くなるために自分から先輩に声をかけて教えてもらったそうです。
高校卒業後はプロになりたい、海外で走りたいという夢のために、同級生たちが大学に行く4年間だけ挑戦させてほしいと親にお願いしてイタリアへ。一緒に行った仲間もたくさんいたそうですが、言葉の壁や食事など慣れない環境に日本に帰る人も多かったと聞きます。そんななか、夫は強くなりたいという思いが誰よりも強かったこと、また、学生時代を含め自転車を“やらされてきていない”から頑張れたと。自分がどうなりたいかということが明確で、それを叶えるためにはどうしたらいいかということがわかっていたのでしょうね。
やりたいことをやり続けてきた夫と、もともとはバレーボールが好きで自分のためにやっていたけれど途中から“やらされている”感じになってしまった私とでは、スポーツに対する価値観や考え方なども正反対です。
--山本さんの勧めで自転車を始められたそうですね?
はい。結婚して数年後にダイエットしなければと思ったときがあって、当時ブームだったDVDを見ながらおこなうエクササイズを試してみたのですが、私は腰が悪いので1回やってみてこれは無理だなと。そんなとき夫が「だったら自転車に乗ってみる?腰への負担も少ないし痩せられるよ」って勧められました。
厳しい姿勢を求められるロードバイクにいきなりは乗れないと言ったら、その原因となっていたハンドルやサドルやペダルを、私が乗りやすいような形状のものに変更・改造してくれて。まずは自転車を漕ぎながらおしゃべりができるくらいの速度で楽しんで乗ってごらんと言われたのですが、昭和の時代にスポーツをしていた私の、スポーツに対するメンタルは、今ある筋力・体力を全力で使い切ることだと思っていたので、すぐに息切れして呼吸困難の状態に…。夫に「何やっているんだ、楽しんで乗らないとダメだよ」と指導されました。
ペースを保つために、夫の後ろについて走るようにして。自転車って重いギアだと少ない回転でたくさん進めるけれど、それだと足が太くなるそうなんです。なので軽いギアでたくさん回転させるようアドバイスをもらいました。
20km/hくらいの速度で軽いギアで走るようにしてから、走行距離も30km、50kmとのびていって、距離がのびるのが嬉しくて。その様子をみて夫が「じゃあ、せっかくだからハワイのホノルルセンチュリーライドを目標にしよう!」って。100マイル、160km走るって言うんですよ。自転車を始めたその年にですよ。
--ホノルルセンチュリーライドに出場されたのですね?
夫は有言実行と言うか、行動力がすごくて、例えば私がテレビで旅番組を観ていて「いいな、旅行に行きたいな」ってポツリと言うと、「じゃあいつ行く?」って(笑)。
でも私もやっぱりアスリート体質なので、出場すると決めたら目標に向けてコツコツ練習をして、160km走るなら当日までに160kmを走る経験をしておきたいと思ってしまうんです。それで120kmまで走って、あと40kmかと思ったときに腰を痛めてしまって。またしても夫に「何やっているの」と。「練習で160km完走しちゃったら面白くないでしょ。本番に何の感動があるの?その感動を本番にとっておかなきゃ」と言われました。
練習で半分の距離を走っておけば本番はなんとかなるとのことだったので、あとは腰を治すことに専念しました。
練習で半分の距離を走っておけば本番はなんとかなるとのことだったので、あとは腰を治すことに専念しました。
--実際に ロングライドを経験されてどうでしたか?
当日は半分(80km)まで走ったらもうきつくて、正直もう無理だなって思ったんです。でも向かい風のときには夫が風よけになってくれたり、後半にくじけそうになると、私の車輪を軽いものに替えてくれたり。「なんではじめからこっちの軽い車輪にしてくれなかったの」と切り込んだのですが、「それじゃ、この車輪のありがたみが分からないだろ」なんて切り替えされました(笑)。そんなこんなで、いろんなサポートを受けてなんとか完走することができました。
このレースを通じて、初めて自分で決めたことをコツコツやって達成できたっていう喜びが溢れてもう号泣でした。自分のなかにやりがいや成長も感じられて、そのときに何歳になっても成長できるんだなとつくづく思いました。
その後は、佐渡ロングライドという210kmのイベントにも出場しましたが、これはもう地獄でした(笑)。これには高校時代のバレーボール部の仲間たちと出場したのですが、完走後に一緒に泣きながら「初めてスポーツを楽しめたね」って。この体験で “昭和の呪縛”からやっと卒業できた気がしています。
ハワイのホノルルセンチュリーライドのゴール達成後、完走証を手に(目には涙が)
「日独スポーツ少年団同時交流」でドイツを訪問。 海外の文化に触れて、子どもたちが心からスポーツを楽しめる環境づくりを目指したい
ドイツスポーツユーゲント役員から記念品の贈呈(日独スポーツ少年団同時交流50周年記念式典にて)
--益子さんは本部長就任後、今年(2023)8月に日独スポーツ少年団同時交流に参加されましたが、実際にドイツのスポーツ文化に触れていかがでしたか?
「日独スポーツ少年団同時交流」という活動が50周年という節目の年にドイツを訪問させていただきましたが、ドイツのスタッフの皆さんがこの交流をどれだけ大事にしてくださっているかがものすごく伝わってきましたし、私たちもこの交流を途絶えさせることなく大事にして、広めていきたいという思いが募りました。
特にドイツの方たちと交流する日本の子どもたちの表情がとてもキラキラしていて、自分の言葉でしっかりと発言してコミュニケーションをとり、積極的に異国の文化を学ぼうとする様子が印象的でした。ドイツを訪れた子どもや若者たちが、この体験を日本に持ち帰ってスポーツをきっともっといいものにしてくれる、そんなふうに思えて嬉しくなりました。
感受性豊かな年代にこうした国際交流の経験は、この先の人生にきっといい影響をもたらしてくれると思います。私も高校生の頃に試合で海外に行ったことはありますが、交流を楽しむ余裕はなかったので、本当にうらやましいですね。
ドイツスポーツユーゲント(ドイツの青少年スポーツ組織)の理事のなかには18歳くらいの方もいて、すでに活躍されていることには驚きましたし、若いうちから理事に入って活動するという経験はぜひ日本でもおこないたいと思いました。
--益子さんは日本スポーツ少年団本部長という立場で、ジュニアスポーツをどのようにされていきたいですか?
まず、「スポーツは楽しい!」ということを根底に、子どもたちがそう思える環境づくりを進めたいと思っています。子どもたちを取り巻くスポーツの環境は、勝利至上主義をはらむ全国大会の問題や部活動の地域移行・地域連携、スポハラなどさまざまな問題がありますが、“これぞスポーツ少年団”だよねという、そういう取り組みができたらいいなと思っています。
私自身、「監督が怒ってはいけない大会」では皆さんに“マコさん”って呼ばれていて、そんな風に愛称で呼んでいただけるような、みんなに親しんでもらえるようなスタンスで、現場にどんどん足を運んで、指導者、保護者、子どもたちに気軽に話してもらえるような存在になれたら。あれもこれもと気負い過ぎずに、まずは私のできることから取り組んでいきたいと思います。
益子直美本部長 プロフィール
1966年生まれ、東京都出身。
「アタックNo.1」に憧れて中学からバレーボールを始める。
1982年、名門、共栄学園高等学校に入学。
1984年、エースとしてバックアタック、ジャンピングサーブを武器に第15回春高バレー(全国高等学校バレーボール選抜優勝大会)準優勝。
高校3年時には日本代表入り。
卒業後、イトーヨーカドーに入団し、1990年には当時の常勝チーム日立を破って日本リーグ初優勝に輝く。
一方、日本代表では1986、1990年世界選手権、〜1989年ワールドカップで活躍。
1992年に現役を退き、スポーツキャスターとして、テレビ・ラジオ・雑誌、各種メディアなど幅広く活躍。
2015年から監督が怒ってはいけない大会(益子直美カップ)を主催。
2021年に日本バレーボール協会理事、スポーツ庁スポーツ審議会スポーツ基本計画部会(第2期)委員を務める。
2023年に女性として初めて日本スポーツ少年団本部長に就任(同時に日本スポーツ協会副会長にも就任)。
「アタックNo.1」に憧れて中学からバレーボールを始める。
1982年、名門、共栄学園高等学校に入学。
1984年、エースとしてバックアタック、ジャンピングサーブを武器に第15回春高バレー(全国高等学校バレーボール選抜優勝大会)準優勝。
高校3年時には日本代表入り。
卒業後、イトーヨーカドーに入団し、1990年には当時の常勝チーム日立を破って日本リーグ初優勝に輝く。
一方、日本代表では1986、1990年世界選手権、〜1989年ワールドカップで活躍。
1992年に現役を退き、スポーツキャスターとして、テレビ・ラジオ・雑誌、各種メディアなど幅広く活躍。
2015年から監督が怒ってはいけない大会(益子直美カップ)を主催。
2021年に日本バレーボール協会理事、スポーツ庁スポーツ審議会スポーツ基本計画部会(第2期)委員を務める。
2023年に女性として初めて日本スポーツ少年団本部長に就任(同時に日本スポーツ協会副会長にも就任)。