【慶應義塾高校野球部 森林貴彦監督インタビュー】 スポーツには、そもそもスポーツを楽しむという部分もあるし、その経験を通じて人を育てるという部分もあると思っています。

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【慶應義塾高校野球部 森林貴彦監督インタビュー】 スポーツには、そもそもスポーツを楽しむという部分もあるし、その経験を通じて人を育てるという部分もあると思っています。
部の伝統である「エンジョイベースボール」を掲げ、2023年夏の甲子園(第105回全国高校野球選手権記念大会)で107年ぶりに全国優勝を果たした慶應義塾高等学校(以下、慶應高校)野球部。猛打や攻守の活躍はもちろん、選手たちが楽しそうにプレーする姿も注目されました。
そのチームを率いたのが森林貴彦監督。母校でもある慶應高校野球部でレギュラーとして活躍され、慶應義塾大学時代には高校野球部の「学生コーチ」を経験。その後、一般企業に勤めたのち指導者の道を志し小学校教員免許を取得。慶應義塾幼稚舎で小学校の先生をしながら、2012年から慶應高校野球部助監督を兼務し、2015年に前監督からバトンを受け継いでいます。
「高校生なのに『球児』と子ども扱いするのはおかしい」や「選手たちに監督ではなく森林さんと呼ばせる」など、独自の視点や考えで指導にあたる森林監督にお話しを伺いました。

エンジョイベースボールを掲げる私たちにとって、2023年の夏は究極のエンジョイができた。

--「エンジョイベースボール」を掲げた慶應高校野球部の選手たち。甲子園大会では選手たちが楽しそうにプレーする姿が印象的でした。

「エンジョイベースボール」と言ったとき、受け手にはいろんな捉え方があると思います。単純に「エンジョイベースボール=楽しい野球」と訳されてしまうと、“現状維持で勝っても負けてもいいけど、とにかくみんなで楽しくやろうよ”という解釈に思われてしまうかもしれませんが、私たちは決してそういった野球を目指してはいません。
私たちが掲げる「エンジョイベースボール」を正しく訳すならば、“よりレベルの高い野球を楽しもう”ということ。高校野球においてはやっぱり全国大会の甲子園に出て、そこで優勝するというのが一番よりレベルの高い野球になりますし、2023年の夏は幸いにして甲子園の決勝に進出して、仙台育英という前年のチャンピオンと対戦するという私たちにとって究極のエンジョイができた。うちの野球にとって、とても重要な大会となりました。
ただ楽しむようなエンジョイの部分が取り上げられがちですが、甲子園という大舞台でああいう表情(野球を心から楽しんでいる表情)でプレーするためにはどれだけものを積み重ねてきたか、そこを想像していただきたい。“よりレベルの高い野球を楽しもう”とした場合、地道に練習を積み重ねて、苦しいことも乗り越えて、相手に一つひとつ勝利していくということになるわけで、そういったところも含めてのエンジョイベースボールだと思っています。

--その「エンジョイベースボール」を実現するために必要なものとは?

選手一人ひとりが“自分で考える”“主体的に取り組む”といった姿勢は必須条件だと考えています。つまり、やらされている野球ではなくて、自分たちがやりたいからやっている野球であること。本来、部活動というのはそういうものであるし、人に頼まれてやっていることではありません。自分が好きでやっている野球を存分に追求してもらいたい…。そこで私たち指導者側はそれを手助けする(サポートする)、あるいは伴走するという役割だと思っています。
私たちが「あっち行くぞ、ほらついてこい」というつもりは全くなくて、選手たちと一緒に目標を設定して、そこに目がけて一緒に走って行く。そういったサポーターであり伴走者といったイメージで選手に接しています。
スポーツなのでもちろん勝利を目指しますが、「勝利至上主義」になってしまうと、勝利のためには手段を選ばないということにもなりかねません。だから、うちはそこ(勝利至上主義)とは一線を画したところにいたいと思っています。

小中高の育成年代の時期に「考える環境」を与え、「考える習慣」を身につけさせることが非常に重要と考えます。

--選手たちに「主体性」を持たせるというのは難しいことのように思うのですが。

そうですね。その場合、もちろんこちらに根気強さが必要ですし、待つ部分や選手たちに任せる部分というのが当然必要になってきますが、結局はどこに焦点を置くかということになると思います。
例えばサッカーをしているお子さんの場合、小学校のサッカーで完成させたいのか、野球だったら、高校野球(18歳)の時点で野球選手として完成させたいのか、あるいは野球選手としても社会人としても将来にピークが来るようにするのか、そのどこにピークを持って行くかによって、関わり方も変わってきます。
高校野球の期間はだいたい2年半しかありませんから、そのなかで(選手やチームを)完成させ、いい結果を出させたいと考えた場合、寮に住まわせて生活すべてを管理したほうが近道だと思います。ただし、その先の人生も含めて考えた場合、果たしてそれがいいかどうかは全く別問題。野球もそうですし、高校卒業後は自分の人生を自分で決めて歩んでいかなければなりません。
彼らが社会に出ていく頃には社会はもっと多様化し、幸せのカタチも一人ひとり違うという状況のなかで自分の将来を考えたとき、“自分の幸せ”や“自分の進みたい道”について考えられるようになっていなければなりません。そのため、小学校、中学校、高校という育成年代の時期に「考える環境」をつくってあげたり、「考える習慣」を身につけさせてあげたりすることが非常に重要だと考えます。
要するに、目先の勝利だけにこだわっていくか、それとももっと長い期間で見たときの選手たちの成長を考えるかの違い。私は、選手たちに「考えさせる」「任せる」部分は、やっぱりなければいけないと思います。詰め込まれるだけの指導で“受け身の人間(受け身の体質)”をつくってしまうと、彼らが社会に出たときに、さまざまな場面において自分で考えることができずに困ってしまう。だから小中高の育成年代の時期に、考える習慣を身につけさせてあげたいと思っています。
高校野球もそうですがスポーツの役割として、そもそもスポーツを楽しむというのもありますし、スポーツを通じて人を育てるという部分もあると思っています。だから、こちらから教え込む、詰め込むばかりではいけないと思います。

--選手たちに主体性を持たせ、考えさせる、そう思われるようになったきっかけは?

私の高校野球での1番の思い出は、公式戦のことでも練習中のことでもなく、練習後に仲間たちとサインを決めたことなんです。野球部が私たちの代になったときに、監督が上田(前)監督(※)になったのですが、上田監督から「2塁への牽制のサインを自分たちで決めろ」と言われました。
2塁牽制だから、セカンドやショート、それからピッチャー、キャッチャーも連動するため、関わるポジションの人たちで、「こういう牽制は今までなかったからやってみたいね」とか「こういう動きはどうかな」とか、「サインはどうしようか」「ブロックサインがいいんじゃないか」という感じに、練習が終わってから暗くなるまで2~3時間延々と話したのですが、このときに“自分たちで考えて決める楽しさ”を味わいました。
この経験が私にとっての高校野球の原点であり、原体験としてあるので、そこは指導者になっても大事にしたいと考えています。
選手一人ひとりが自分で決める楽しさや喜びとかがある一方で、自分で考えるのは難しいことでもあります。ですが難しいからこそ、そこに楽しさや面白さもあるので、簡単にこちらから答えや、やるべきことを提示しないようにしています。
自分たちで考えて決めていく。このことは上田監督から授かったところですし、私自身もそれをずっと大切にしたいと思ってここまでやってきています。選手たちも野球部での経験を通じて、少しずつ主体性が身に付いてきているように感じています。
※:上田誠氏 1991年~2015年慶応義塾高校野球部監督、2005年春には45年ぶりに選抜甲子園出場を果たし、春夏計4回甲子園にチームを導いた
例えば、うちでは「投げ方」や「打ち方」について「ああしろ、こうしろ」と言うことはありません。なぜなら自分の好きな野球だし、投げる・打つのフォームは自分のものだし、自分でやりたい野球なら人に言われなくても追求するでしょう。それを指導者側からどんどん教えてしまうと、「教えてもらえる」と習い事のような感覚になってしまうので、やっぱり自分で考えるということが重要。自分たちが考えて行動する、それがスポーツの楽しさであり、価値だと思っています。
とはいえ、色々な個性の選手たちがいるので、その年によっては任せすぎてしまい考えてることがずれてきたかな、と思う年もありましたし、その反動で次の年はもう少しミーティングを増やしたり、考えなどをすり合わせる機会を増やしたり、試行錯誤しながらここまで来たという感じです。
毎年、チームのスローガンを選手たちに考えてもらっていて、2023年の秋からの新チームのスローガンは「一喜挑戦(いっきとうせん)」。これは元々ある一騎当千っていう四字熟語から言葉を造りました。スローガンを選手たちみんなで考える。これも部の伝統になりつつあります。

ルールがあるなかでお互い勝利を目指して真剣に戦う。そこに本当のスポーツの楽しさがあると思う。

--小学生、特に低学年の場合、「スポーツを楽しもう」と言うと、勝利を目指すことから離れてしまうこともあるのではないでしょうか?

そうですね。そもそもスポーツは本来楽しくあるべきだし、スポーツをしたときに「楽しい!」と感じられなかったらスポーツの意味がありません。ですが一方で、真剣にやらないと面白くなくて、相手が本気でやってくれないチームに勝ったとしても嬉しくないし、お互いが勝利を目指して一生懸命戦って“どっちが勝つかな?”というなかで勝ったほうが楽しいわけです。例えば、高校生が小学生相手に大差で勝ったとしても何も嬉しくありません。
ですから、子どもたちに“スポーツはルールに則った真剣な遊び”であることをきちんと教えてあげなければなりません。それをきちんと理解させてあげることが指導者の務めであり、勝つことが目標だとしても、「手段選ばずに勝つっていうのはだめだよ」とか「試合が終わった後はお互いの健闘を称え合おう」「お互いをリスペクトしよう」とか、その線引きをしてあげることが大切だと考えます。
どの年代においても結局は「ティーチング」と「コーチング」といったものの兼ね合いは大事で、「主体性」とか言うと、全部「コーチング」になるように受け止められてしまい、どうしても白か黒かの二元論になってしまいます。ですが、そうではなく白と黒の間の灰色みたいなところに折り合いをつける部分も必要で、私たちも時には選手たちを強制し、詰め込む、教え込むといった指導(「ティーチング」)をおこなう時期もあります。
また、スポーツではいろんな状況や場面が訪れるので、その場その場で適切な指導をすることも重要となります。そこで、指導者と選手が一緒の目線で、勝ったら喜ぶ、負けたら悲しむ、怒る、みたいなことをしていてはダメだと思っています。周囲の大人たちは、「スポーツを通じて何を伝えていくべきか」ということをきちんと伝える責任があります。
勝利を目指して一生懸命努力する、仲間と協力する、みんなで力を合わせて困難を乗り越える。その過程でスポーツマンシップを身に付ける、フェアプレーの精神を身に付ける、などスポーツの価値にはいろんな重層的な価値があります。そのことをスポーツに携わる人がきちんと伝える努力をしていかないといけない。「別に授業(勉強)だけしていればいいでしょ」という生徒に、「いや、スポーツには教室では身に付けられないものがあるんだよ」「人間力が育つんだよ」ということをもっと伝えていかなくてはいけないのに、これまでの日本の部活動は、それを今まで怠ってきた部分があります。
結局、勝ったら認められて、監督は名将と呼ばれ、勝ったチームは素晴らしいと称えられる。それだけではないはずなのに、なぜかスポーツの価値が勝った負けただけで捉えられてしまう。チームにはそれぞれの取り組みがあるし、負けたとしても何かが残るような活動にしていかなくてはなりません。むしろ負けたときにこそ大切な何かが残せるような、勝ち負けと関係ない部分でいろんなものがその人に残るような指導というのは必要かなと感じています。
スポーツを経験することで、今後の人生にも絶対プラスになるものが身に付くと私は信じてますし、そういうふうに彼らに伝えています。

対戦相手は一緒に試合をしている仲間。だから相手のいいプレーにも自然と拍手が出るんです。

--選手たちの行動においてどういった場面で成長を感じますか?

甲子園での試合を見ても、例えば決勝の仙台育英戦で、センターを守る相手の選手がスライディングキャッチした場面、向こうはもちろん味方だから拍手しますが、こっちのベンチでも感嘆や「ナイスプレー」と言って拍手をおくっていました。
敵と味方ではなく、対戦相手は一緒に試合をしている仲間。相手のプレーを拍手で称えるといった行動はここ2年くらいでだいぶできるようになってきました。
初戦の北陸高校戦でも、9回にホームラン打たれたんですけれど、「すごいホームランだ!」と慶應ベンチが盛り上がっていて、準々決勝の沖縄商学戦では先制の2ランを打たれましたが、あのときもベンチは結構盛り上がっていました。
ホームランを打たれたからといって、しょんぼりしていても仕方がないので、だったらもう一緒に称えて自分たちも頑張ろうという気分に持っていく。これは私たちが取り組んでいるメンタルトレーニングの一環でもあるんです。
チームとしてスポーツマンシップなどに関する研修も受けているのですが、自分たちが負けている劣勢な場面でこそ、その真価が問われることを学んでいます。
相手を尊重する、審判を尊重する、ルールを尊重する、いろんなことに勇気をもって取り組む。スポーツマンシップというものを体で表現するということが少しずつできるようになってきたと思います。

--森林監督がお考えになるスポーツマンシップとは?

スポーツマンシップはやっぱりスポーツを通じて得られる人間力や人間性の総合的なものだと思っていて、私も研修などで教わったなかに、尊重、勇気、覚悟というワードがあってそれがすごくしっくりくるかなと思っています。
味方も相手も、自分自身も、それから全てのことをきちんと尊重することや、勇気を持っていろんなことに取り組む、チャレンジする、自分の行動に責任を取る、覚悟を持って進む、など。スポーツマンシップというものを噛み砕いていくと、そういうことになるのかなと思います。
あとは簡単にはへこたれない、折れない心を養うこともスポーツマンシップとしてすごく重要な要素で、そういうところを大きく伸ばしていきたいなと思っています。
そもそも「スポーツマン」という言葉はそれだけでとてもポジティブに捉えられていて、英語でHe is sportsman と言ったら、「彼は人間的にすごく素晴らしい人物だ」と思われるそうなんです。

--スポーツマンシップはどのように備わっていくものだと思いますか?

いろいろな場面を経験すること。勝ったり負けたり。上手くいったりいかなかったり、そういった多様な経験をすることで培われていくものだと思います。さまざまな場面で適切な指導をされることで、こういう場面ではこういうふうに考えればいいんだとか、勝ったからって偉いわけじゃないんだとか、負けたからって全部がダメなわけじゃないんだとか、勝ち負けそれぞれの経験のなかから次に向けての糧を見出せるかが大事。あとは素直にいろんなことを受け入れられるような気持ちを持つことも重要な要素になると思います。

選手に近い存在としてサポートする「学生コーチ」という存在

--「学生コーチ」をされていたときに大切にされていたこと、いまの監督としての指導に活きていることは?

私は高校3年間、前任の上田監督のもとで過ごしましたが、上田監督の指導は非常に新しい高校野球の姿を実現しつつあると思っていました。そこで、私が学生コーチにお世話になったように、学生コーチとして今度は後輩を指導する、支える側にまわろうと決意しました。
心がけていたのは選手たちと一緒に努力するということ。選手に対して上からものを言うわけでもなく、かといって放っておくわけでもなく、数年前までは私も高校生としてプレーしていたし気持ちはよくわかるので、目標設定をしてその目標に向けて一緒に走りたいという気持ちで学生コーチとしての4年間を過ごしました。
いまの慶應高校野球部にも学生コーチがいて、彼らの重要性というのはよく分かっているつもりです。部員である高校生たちと私を含めた教員、そして学生コーチが三位一体となって野球部を構成しているので、彼ら大学生のモチベーションを高め、やりがいを保てるように意識しています。

--森林監督が目指す指導者像とは?

選手たちに考えさせるということは、私たち指導する側も考えなくてはいけませんし、選手に成長しろというのなら自分も成長しなければなりません。また、チームが置かれている環境や選手たちの能力も違ってくるので、指導者としての信念や哲学が重要で、他のチームがこうしているから自分たちもそのまま取り入れようというのは、私の考えにはありません。
目の前の選手たち、チームの状況をよく見て、いまこのチームには何が必要かを考えていくことが求められていると思っています。
コーチングについては、いろいろと数字で読み取れるものなどが重視される「コーチングisサイエンス」という部分と、一方では「コーチングisアート」といって結局その人にしかわからない世界というものもあると考えています。ですので、科学者でもあり芸術家でもある、そうした指導者がいい指導者だと捉えています。
科学に基づいた最新の知見や技術などを取り入れようという部分と、目の前の選手と自分の中で何かを生み出していこうかというアートな部分、その両方を高いレベルで両立したい(両立していい指導を目指したい)と思っています。
森林貴彦監督 プロフィール
森林貴彦(もりばやし・たかひこ)
東京都出身。1973年生まれ。

慶應義塾普通部から慶應義塾高等学校、そして慶應義塾大学法学部法律学科卒。
高校野球部ではショートとして活躍し、大学時代には高校野球部の「学生コーチ」を経験。
その後、一般企業に勤めたのち指導者の道を志し小学校教員免許を取得。慶應義塾幼稚舎で小学校の先生をしながら、2012年から慶應高校野球部助監督を兼務し、2015年に前監督からバトンを受け継ぎ監督に就任。2023年度高校野球夏の甲子園大会でチームを107年ぶりに全国優勝に導いた。