スポーツ界の暴力行為をなくすためには|指導者の「学び」と周囲の「意識改革」で指導現場は変わる
2013年、日本スポーツ協会(当時日本体育協会)やJOCらスポーツ関係5団体が採択した「暴力行為根絶宣言」から早くも7年が過ぎようとしていますが、未だにスポーツの現場から暴力行為は完全になくなっていません。
その背景には、育成という観点を持たず、手段を選ばずに勝利のみを追求する姿勢や指導者の知識・技術不足、暴力行為を是認・許容・黙認してしまう環境など、さまざまな根深い問題が横たわっています。
今回、日本スポーツ協会(以下、JSPO)では、未だになくならないスポーツ界における暴力行為について、JSPO発行のスポーツ情報誌『Sport Japan』のNo.52(2020年11月発行)における特集として、4人の専門家をお招きし、対談を実施しました。
この記事では、『Sport Japan』に載せきれなかった本企画のこぼれ話をお届けします。
※『Sport Japan』No.52の特集は、特別にWEB公開されています。記事はこちらからご覧いただけます。
【特別公開】Sport Japan第52号特集 -「暴力などない適切なスポーツ環境」を考える-
合田雄治郎氏(弁護士)、島沢優子氏(ジャーナリスト)、松尾哲矢氏(スポーツ社会学研究者)、森岡裕策氏(JSPO常務理事)に、それぞれの専門分野を交えて意見を交わしてもらいました。
スポーツ界における暴力行為がなくならない背景
もちろん、このキーとなる要因は暴力行為を行う「指導者」ですが、下図のとおり指導の現場を取り巻く環境にも多様な要因がありそうです。
倫理面だけではない。専門的な指導技術の未熟さや周囲の環境も遠因に?
しかしながら、松尾氏は「確かに倫理面の問題ではあるけども、スキルとしての指導能力の問題として捉えたほうがいいのではないか」と言います。
専門的な指導技術・能力の不足・不安が、暴力問題につながっているという点は、まさにご指摘のとおりだと思います。自身のコーチング経験を振り返っても、ふっと腹落ちする感じです。
まさに暴力行為を生んでいる一つの要因でもあると感じました。翻して言えば、スポーツ現場において、倫理面はもとより、専門的なコーチング能力を養うための仕組みも必要なんじゃないか、ということですね。
暴力をふるう動機にもいくつかのパターンがあって、その中でも「自分が教えたことが上手くできないから」という動機が圧倒的に多いです。
教員には、児童・生徒が何か悪いことをした場合には、一定の範囲で戒めることが認められており、法的には懲戒権と言います。
しかし、指導者が教えたことができないことは、何も悪いことをしたわけではないので、教員であろうと、懲戒権を行使することは当然ながらできません。
学校外のスポーツ指導者には、そもそも懲戒権自体がないんです。だから、暴力行為を行ってはならないことは当然として、子どもを戒める行為すらも違法となる可能性があります。指導者の方には、改めて、スポーツを指導する第一の目的ってなんだろうと考えてもらいたいですね。
それと、例えば大阪市立桜宮高校での事例。今から約8年前、顧問から体罰等を受けたバスケットボール部員が自殺するという事件がありました。その際、その顧問が指導を続けられるように、嘆願書に署名した、亡くなった生徒以外の保護者も多かったそうです。
また、今でもよくあるのですが、保護者側が「厳しい指導」か「しつけ」だと思って、学校外の指導者に対し「厳しい指導をしてください」として、強圧的な態度で子どもに接することを望んでいることがあります。もう、これ自体が間違いですよね。
これらは指導者のみならず、社会全体で考えていく必要がありますね。
今の日本の指導は、マイナス面しか見ていない?子どもは楽しい?
今まで多くの国内外の指導者やアスリートに取材した中で、海外の人たちと日本では、まずスポーツの捉え方が完全に違う。
将来につながるスポーツの楽しさや、自ら考えて取り組むことの大切さを、みんなきちんと伝えている。
根本的に違うんですね。 彼らは第一に楽しく、そして健康的に、自らという考え方を大切にしています。 バスケットボールなどでは、コーチが自分から選手に寄っていきシュートフォームを改善する、なんてことは絶対にしないんですよ。
選手から「シュートを教えてほしい」と言われて初めて「ぼくでいいの?」という姿勢で教えるんですね。
対して日本では、子どもたちを片っぱしから捕まえて、指導者の持論を押し付けることが多いと感じています。
海外ではこうした対等性が大人と子どもの間にあり、日本とは子どもに対する接し方がまるで違います。
先日、元バレーボール選手の大山加奈さんと対談しました。その際、大山さんは高校の時に、先生から自分たちで考えてやれと言われたが、自分たちだけでやることがとても辛く、「先生、殴ってでもいいから、もう教えて」という気分になったと。
他チームからは「楽でいいね」と言われたが、全然楽なんかじゃなかったと言っていました。主体性を求められるほうがいかに選手としては大変か、成長するか、ということですね。
言ってしまえば、指導における強制的な指示・命令は、選手から自分で考える機会を奪ってしまっている。だからこそ、日本人が今まで持ってきた、自分たちでつくりあげてきたと思っている教育観念、学習観念というものを、これから変えていかなければなりません。
日本のスポーツ界では、ここが悪い、あそこが悪いと、マイナス面ばかりを指摘し、全然褒めない。むしろ怒鳴ってばかりなんてことも。それで、子どもがどんどん委縮して、笑顔の一つもありません。
自分の思うとおりに子どもが動かないから怒るっていうのは、どう考えてもおかしい。保護者もいるのに、それを許している状況は異常ですよね。
僕、ちょっと経歴が変わっていて、40歳まではプロのクライマーを目指していて、それまでずっと家庭教師をしてました(※)。家庭教師の世界では、「先褒め、後けなし」と言って、子どもに注意するときはまず褒めなさい、いくつか褒めて最後に直してほしいところを指摘しなさい、そういう技術が伝わっているんです。
スポーツの指導者にも、このような技術的な部分を含めて勉強してほしいですね。また、暴力相談窓口にはJSPOの公認スポーツ指導者資格を持っていない人に対する相談が非常に多いんです。できるなら、このような人たちも資格を取って、指導の勉強をしてほしいですね。
指導者が学び続けることでコーチングは変わる
①指導の可視化、振り返り、グッドコーチングの拡散
自ら学ぶ人、まったく学ばない人、色々な指導者がいます。その中で、「可視化」が今後1つのキーワードになると思ってます。他者の「良い指導=グッドコーチング」をたくさん見てもらう。そして、「振り返る」。自身の指導状況をビデオ撮影し、それを見て自らを振り返り、検証すること。自ら考えて気づくこと。この方法はすでに海外で成果を挙げています。
自分たち指導者は前面に出ず、子どもたちの成長を眺めている、そんな人たちが増えると変わっていくと思います。
②暴力事案やグッドコーチング事例の分析・収集・類型化、その周知
島沢氏が挙げた指導の可視化に加えて、例えば、今後、急速に発展していくデジタル技術を活用した暴力事案の情報収集と分析・改善が可能だと思います。
また、グッドコーチングのモデルケースについても同様ですが、これらはAI(人工知能)やAR(拡張現実)などの技術を駆使すれば、比較的容易に実現できるかと思います。
ただし、そこに投入する予算や人材、具体的な全体のフレームワークなどは課題が多く生じるので、今後の検討課題となるでしょう。
③信頼できる相談窓口の設置、暴力行為の違法性を周知
残念ながら、今すぐにすべての暴力行為がなくなるわけではありません。実際に起きてしまった暴力行為に対しても、適正な対応が必要です。
現在JSPOをはじめ、JOC、各競技団体など、暴力行為が起きてしまった場合の相談窓口を設けています。ただし、現状では相談に対してどのような対応を取るのかは各団体の裁量に任されています。今後は、この基準や対応も統一し、安心して相談できる窓口を各競技団体が設ける必要があるでしょう。
また、暴力行為が違法であること、どのような処分が下されるのかを周知することも有力な抑止力のひとつになるでしょう。
④指導者資格を取得すること、そして常に学び続けること
指導者が正しい価値観や常に新しいものを学べる仕組みと、学び続けられる環境を整えることが大切です。
今は誰でも指導ができるような時代ですが、すでにそうでない時代に入ってきたのでは、と感じています。これまでの経験に拠った指導が、暴力行為につながってしまう。結果、スポーツが歪められてしまう。そうならないためにも、きっちりと皆さんに資格を取得してもらうような方策が必要ではないでしょうか。
また、資格取得のために1回学んだら終わりではなく、常に学び続けられるような仕組みが重要ですね。大切なキーワードは、「指導とは学ぶこと」なんだ、ということですね。
暴力を含むハラスメントに対する社会の「感度」を上げる
暴力行為の現状は競技によってさまざまだとは思いますが、例えばかなり新しいスポーツであるスポーツクライミングでは、指導者が選手に罵詈雑言を吐くということはほとんどありませんでした。
僕もスポーツって正直嫌いだったんです。先輩とか指導者にどつかれたりするのが嫌で。部活も一切やってなかった。
でも、僕がスポーツクライミングを始めた30年近く前には、スポーツクライミングにはそういう風土が全然なかった。指導者にあたるような人もおらず、各々が自分で考えて工夫してトレーニングをして、模索しながら切り開いていったんです。
ただ、そんな練習環境であっても、W杯で優勝するような日本人クライマーはいましたよ(現日本山岳・スポーツクライミング協会副会長・平山ユージ氏など)。
東京オリパラ大会の競技・種目にも採用されている「アーバンスポーツ」なども、似たような現象があります。
従来のリアルな指導者ではなくYouTubeを見ながらスケートボードや、BMXなどを練習しているので、自分たちの指導者はYouTubeだと豪語していますね。
とは言え、従来のリアルな指導者だからこそ得られるものがあるとも思っています。どんなに時代が変わり、デジタル化が進んでも、直接対話して課題を投げかけ考えさせ、さらに問いかけを続けて深く掘り下げていくなど、人と人との問答によってのみ養えることもあります。
従来のすべてを否定するのではなく、悪いものは是正し、良いものは受け継ぎ発展させ、新しいものも拒絶せずに良いものはどんどん取り入れる姿勢が大切だと思います。
ニュースポーツの強みは、そういった従来の構造にとらわれない、引きずられないことですよね。
この間、某大学ラクロス部の、元日本代表のコーチにお話を伺う機会がありました。
ラクロスには、それまで他の競技をやっていたが、暴力や暴言を受けて「嫌だ、嫌だ」と思った子たちが、その競技を辞めて来ることがあると。その子たちは暴力に対する嫌悪感を示し、自分で考えて主体的に動くことができるんですね。そういう子たちが来るから、自分たちで考えて動くことができるとおっしゃっていました。
お話を聞いていて、いわゆる暴力を含むハラスメントに対する「感度」というのが、高まりつつあるんだと感じましたね。
もしかすると、こうした感度をもっとみんなが高めていけるような仕組みを、同時に整えていくということも必要なのかもしれませんね。
松尾さんがおっしゃるその「感度」というのは、やはり人権意識に呼応するんだと思います。
例えば自分だったら、娘を「お前」呼ばわりするコーチには絶対に渡さないですね。「うちの子に対してお前とは何だ!」って思うんですよ。逆に私は「お前」呼ばわりされて、何度も叩かれてきた世代なのですが、だからこそ人権の側面をきちんと伝えていかないといけないと思います。
みんながそういう感覚を持つようになってくれば、スポーツ界も社会全体も変わっていきますよ。
【特別公開】Sport Japan第52号特集 -「暴力などない適切なスポーツ環境」を考える-
2014年の部活動に関する調査で、約4割の顧問が未経験の競技を担当しており、指導することに不安を感じているという結果が出ています。
指導者の指導技術が不十分だと、子どもに対して自分の威厳を保つため、威圧的な態度・行動に走ってしまい、なめられてはいけない、となり最後は「暴力」になっていきます。
こうした指導者の不安を背景に、不安定な空間を無理やり安定化させるために、最後に暴力行為が起こってしまうという面も、我々は忘れてはいけないと思います。倫理面だけで暴力行為を捉えてしまうと、途端に難解な問題になってしまう恐れがあります。