【女子バドミントン・福島由紀選手インタビュー】 ダブルスに転向して感じた気持ちの変化、そして大舞台で味わったバドミントンの楽しさ
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群雄割拠の日本女子バドミントンにおいて、「フクヒロ」ペアとして2015年スコットランドオープン優勝、2016年ニュージーランドオープン優勝、2017年には世界選手権で準優勝するなど快進撃を続け、東京2020オリンピック出場を果たした福島由紀選手。
穏やかに当時を振り返る福島選手ですが、その道のりは決して平坦なものではありませんでした。長年のパートナーである廣田結花選手と一度はペアを解消したものの、その後ペアを再結成。これまで以上にいい手応えを感じ世界大会でも結果を残すなど、メダル獲得の期待が高まるなかペアに起こったアクシデント…。東京2020オリンピックに出場できたこと自体が奇跡だったと言います。
シングルスからダブルス主体でプレーするようになり、ペアを組む選手やコーチなど身近でささえてくれている人たちへの感謝の気持ちが大きくなっていったという福島選手に、自分を成長させてくれたバドミントンにまつわるお話を伺いました。
穏やかに当時を振り返る福島選手ですが、その道のりは決して平坦なものではありませんでした。長年のパートナーである廣田結花選手と一度はペアを解消したものの、その後ペアを再結成。これまで以上にいい手応えを感じ世界大会でも結果を残すなど、メダル獲得の期待が高まるなかペアに起こったアクシデント…。東京2020オリンピックに出場できたこと自体が奇跡だったと言います。
シングルスからダブルス主体でプレーするようになり、ペアを組む選手やコーチなど身近でささえてくれている人たちへの感謝の気持ちが大きくなっていったという福島選手に、自分を成長させてくれたバドミントンにまつわるお話を伺いました。
初めて目にしたバドミントン、羽根を打つ様子が楽しそうだなと…
--バドミントンを始めたきっかけは?
もともと姉がやっていたこともあり、小学3年生くらいからバドミントンを始めました。地元の小学校の体育館で、部活動のようなかたちでやっていました。
姉とは少し歳が離れているので、姉と一緒にというわけではなく、あるとき母に「外で遊んでいるんだったらあなたもバドミントンでもしてみない」と言われて、体育館に連れて行かれました。
みんなが羽根を打っている様子を見て、「なんでそんなに(羽根が)当たるんだろう」と思い、自分もやってみたいと思いました。
--バドミントンを始めた頃の様子は?
最初はなかなかラケットに羽根が当たらないので全然楽しくありませんでした(笑)。でも羽根が当たるようになるにつれて楽しいと思えるようになってきて、だんだんと自分が上手になっていくのがまた楽しくて。楽しいと思えたから続けられたのかなと思っています。
少しラリーが続くようになってきた頃に、父と対戦したのですが、バドミントン経験がない父に遊ばれている感じがして、それがすごく悔しかったことを今でも覚えています。
この頃すでに、勝負事には負けたくないという気持ちが強かったように思います。
この頃すでに、勝負事には負けたくないという気持ちが強かったように思います。
--中学校ではそのままバドミントン部に
小学生の頃は特にバドミントン以外のスポーツはしていなかったので、中学ではそのままバドミントン部に入部しました。
もともと私が育った熊本県の八代市はバドミントンが盛んで、子どもの頃から身近なスポーツとしてありました。私が通っていた中学校は、その中でもバドミントンが強い学校で、特にたまたま強い選手が集まっている世代でした。
選手たちのレベルを見て、「私もここで強くなりたい!」と青森山田高校に進学
--高校はスポーツ強豪校の青森山田高校へ
私の場合、中学では全国大会出場を目指すというレベルだったので、これといった実績がなく、高校は県内のバドミントンがちょっと強い高校に進学しようと考えていました。
ですが1学年上に同じ地元から強豪の青森山田高校に行った先輩がいて、そのつながりで同校から声をかけていただき、思いもよらぬ展開に「まさか私が?」と正直とても驚きました。
青森山田高校に見学に行ってみたら、本当に選手たちのレベルが高くて、練習の様子を見たときに「私はここで強くなりたい!」と思いました。
それが進学の決め手となり、ここでみんなに負けないように頑張って、追いつけ追い越せくらいの気持ちで臨もうと心に決めました。
それが進学の決め手となり、ここでみんなに負けないように頑張って、追いつけ追い越せくらいの気持ちで臨もうと心に決めました。
--熊本から青森へ。家族と遠く離れて寂しくなかったですか?
青森山田高校に進学したいと伝えたときに、父がすごく寂しそうにしていました。私も家族と離れて暮らすことに正直不安もありましたが、「ここで頑張る!」と決めて行ったのではじめのうちはまったくホームシックなどの心配はありませんでした。
ところが、高校1年時のインターハイでメンバーに入れなかったときはとてもショックで、そこではじめて家族が恋しくなり、母に電話をして「帰りたい」と伝えました。母はひと通り話を聞いてくれたあと、「自分で決めたことだから頑張りなさい」とやさしく励ましてくれました。
メンバー落ちの悔しさ、周囲の支えがあったからこそ、つかめた栄冠
--その後、どんどん活躍されて高3のときには、インターハイの女子ダブルスで優勝されていますね
1年生のときにメンバーから落とされたことで、「次は絶対にメンバー入りしてやる」という反骨心が芽生えるとともに、明確な目標を持つことができました。
このときの悔しさがあったからこそ、高校3年のときには、インターハイ(全国高等学校バドミントン選手権大会)で女子団体戦および女子ダブルスで優勝することができました。
このときの悔しさがあったからこそ、高校3年のときには、インターハイ(全国高等学校バドミントン選手権大会)で女子団体戦および女子ダブルスで優勝することができました。
もともと青森山田のバドミントン部は、先輩も同級生も、全国大会で上位進出する選手ばかり。私は全国大会で結果を残したことがなかった分、自分も結果を出したい、優勝したいという気持ちが強かったと思います。
--調子が上がり気持ちや成績が上向く、何かきっかけのようなものはありましたか?
1年生のときに悔しい思いをしたことのほかに、もうひとつシングルスからダブルスがメインになったことが大きいと感じています。
もともとシングルスをしていたので、どうしても自分が自分がという気持ちが強く、最初の頃は二人でプレーすることの難しさを感じていました。
その反面、シングルスはメンタルコントロールも全部1人でしなくてはなりませんが、ダブルスはコート内にパートナーがいるので、試合で不安になる場面でもパートナーとお互いに支え合うことができます。
その反面、シングルスはメンタルコントロールも全部1人でしなくてはなりませんが、ダブルスはコート内にパートナーがいるので、試合で不安になる場面でもパートナーとお互いに支え合うことができます。
コーチや先輩から、ダブルスではパートナーを思いやる気持ちが大切と教わっていましたが、ダブルスを通じて少しずつ自分の気持ちにも変化が出てきて、パートナーへの感謝の気持ちはもちろん、監督やコーチ、応援してくれる仲間や対戦相手にも感謝し、リスペクトする大切さに気づくことができました。
--福島選手のプレースタイルは?
私は特別スマッシュが速いわけではなく、どちらかというとコートカバーリングで動いて動いてというタイプ。コートの端から端まで動き回るプレースタイルは、まわりから「野性的」などと言われることもあります(笑)。
ダッシュとストップを繰り返すバトミントンでは、走力や持久力も重要となるため練習では走り込みも行います。走って、止まって、また走る動きを繰り返すので、特にインターバル走はかなりやっています。ですが、走る練習は正直あまり好きではありません(笑)。
「フクヒロ」ペア結成、解消、再結成で二人の息がさらにピッタリに
--実業団では地元(熊本)の後輩の廣田選手とペアを組まれて、一度ペアを解消されていますね?
廣田とは所属する実業団チームが一緒で2015年からペアを組んでいたのですが、2016年にリオ2016オリンピック出場を逃したあとに一度ペアを解消しています。
もともとお互いがコミュニケーションをとるのが苦手なタイプ。しかも、私が1つ上の先輩ということもあって、私が言うことに対して廣田は「はい」と完全に受け身で、自分から意見するということはありませんでした。
そんな関係が続き、お互いにちょっと行き詰っていたところがあったので、監督やコーチの提案もあり1度ペアを解消することにしました。
--廣田選手とペアを再結成されたときはどうでしたか?
ペアを解消して3ヵ月後くらいに「全日本実業団」という団体戦があって、その間は廣田とペアを組んでの練習はまったくしていなかったのですが、準決勝のときに急遽、廣田と組んでダブルスに出場することになりました。
お互いに「久しぶり」という感じでしたが、準決勝の試合に勝利し、決勝の相手はリオ2016オリンピックで金メダルを獲得した高橋礼華選手と松友美佐紀選手の「タカマツ」ペア。ファイナルセットのデュースまで持ち込んだものの、最後の最後で負けてしまいましたが、納得のいくいい試合ができました。
離れていたけれど再びペアを組んだときにしっくりくる感覚があって、「ダブルスのパートナーはやっぱり廣田だな」と思いました。
離れていたけれど再びペアを組んだときにしっくりくる感覚があって、「ダブルスのパートナーはやっぱり廣田だな」と思いました。
私も廣田ともっとコミュニケーションをとらなくてはと考えていましたが、ペアを再結成してからは廣田が「私はこうしたいです」とか「今のはこうした方が良かったですかね」と積極的にコミュニケーションをとってくれるようになり、廣田が大きく変わったと思いました。
お互いもっとコミュニケーションをとるようにと監督やコーチたちに昔からずっと言われていましたが、それまではどうしていいかわからない状態でした。ペアを解消していったん離れたことで、お互い相手の気持ちを考える時間ができたのだと思います。
--福島選手は国体にも出場されていますが、どのような印象がありますか?
国体には2014、2015、2016年と出場しています。まだA代表に入る前だったので、どんな試合でもとにかく勝ち切るということを意識していました。
国体は団体戦ですがダブルスとシングルスが2つという独特な対戦方式で、2014年はダブルスのみ、2015と2016年はダブルスとシングルス両方に出場しました。
国体は団体戦ですがダブルスとシングルスが2つという独特な対戦方式で、2014年はダブルスのみ、2015と2016年はダブルスとシングルス両方に出場しました。
国体は県の代表として出場するので、県民の期待を背負ってプレーするという独特な雰囲気があります。A代表の人たちは出場していませんでしたが、それでも都道府県を代表する強い選手が出場していたので、すごくレベルの高い試合だったと記憶しています。
あんなに楽しい試合は今までになかった。東京2020オリンピックは「二人」で最高に楽しんだ舞台
--再結成してからの好調の要因は、やはり以前よりコミュニケーションがとれるようになったから?
ダブルスは二人のコンビネーションが重要ですが、二人とも調子がいいときというのはなかなかありません。もちろんお互いそうなることがベストですが、数多い試合の中でもそれはほんの数回です。
だから、どちらかの調子が悪く上手くいかないときはお互いカバーするということで、廣田とは「二人で」という言葉を意識するようにしていました。
だから、どちらかの調子が悪く上手くいかないときはお互いカバーするということで、廣田とは「二人で」という言葉を意識するようにしていました。
とにかく、自分が成長するためにも廣田と積極的にコミュニケーションをとることは必要だと感じていました。
「二人で」という言葉はプレーの面だけでなく気持ちの面においても、お互いに声を掛け合うことでコミュニケーションをとろうと考えたものですが、意識し過ぎてもかえってよくないので、無理のない範囲で意識して、それが勝ちにつながっていけばいいと考えていました。
「二人で」という言葉はプレーの面だけでなく気持ちの面においても、お互いに声を掛け合うことでコミュニケーションをとろうと考えたものですが、意識し過ぎてもかえってよくないので、無理のない範囲で意識して、それが勝ちにつながっていけばいいと考えていました。
--東京オリンピックの出場権を獲得、そして「フクヒロ」ペアを襲ったアクシデント
廣田選手とのコミュニケーションがよくなったことで調子も上がり、世界大会での実績も重ね、念願の東京2020オリンピックの出場権も獲得。メダルも大いに期待されていた「フクヒロ」ペアでしたが、オリンピックの数ヵ月前に、廣田選手がケガ(前十字じん帯断裂)に見舞われてしまいました。
6月に廣田がケガをして、検査の結果もオリンピック出場は難しいとのことだったので、「オリンピック出場は叶わないのかな…」と落ち込みましたが、廣田には自分のせいだと思わせたくありませんでした。
ですが、そうした状況のなかでも、廣田は脚をサポートする装具を試すなど、コートに立つことをあきらめていませんでした。その姿を見て、自分も自分のやるべきことをやろうとポジティブな気持ちに切り替えることができました。
それでもオリンピックのコートには立てないのではと思っていたところ、奇跡的にもコートに立つことができたので、結果がどうあれ精一杯やろうと思いました。
最後の中国ペアとの試合は、さすがに廣田も脚の状態が悪い中での4試合目だったので、もう次はないと思って、かえってすごく楽しんでプレーすることができました。あんなに楽しんだ試合は今までありませんでした。
最後の中国ペアとの試合は、さすがに廣田も脚の状態が悪い中での4試合目だったので、もう次はないと思って、かえってすごく楽しんでプレーすることができました。あんなに楽しんだ試合は今までありませんでした。
試合後、対戦した中国の選手たちが廣田の脚のことを「大丈夫?」という感じで気づかってくれたり、お互いの健闘を称え合ったりしたことで、国境を越えてプレーで通じ合えるというか、やっぱりスポーツはいいな、とそのとき思いました。
--バドミントンを楽しむために必要なこと、心がけていることは?
バドミントンに限らずスポーツは、対戦相手やパートナー、チームメートたちがいて成り立つものだと思うので、それぞれの相手に対してリスペクトや感謝の気持ちを忘れないように心がけています。
それから、これはオリンピックで実感したことですが、やっぱりプレーや試合を楽しむというのがすごく大事だと思いました。勝ち負けがあるスポーツにおいて楽しむというのは簡単なことではありませんが、オリンピック後は、どうやったら楽しめるかというところを常に意識してプレーするようにしています。
JSPOフェアプレイニュースにも掲載
JSPOでは、全国の小中学校等に向け、フェアプレーの大切さを伝える壁新聞を発行しています。Vol.145では福島さんのフェアプレーエピソードや、子どもたちへのメッセージなどを掲載していますのでぜひ併せてご覧ください。
福島由紀選手プロフィール
福島由紀(ふくしま・ゆき)
熊本県出身。1993年生まれ。
小学3年生からバドミントンを始め、八代市立坂本中学校を経て、青森山田高等学校へ進学。
高校3年のとき、インターハイ(全国高等学校バドミントン選手権大会)で女子団体戦および女子ダブルスで優勝。高校卒業後は実業団に進み、廣田選手と「フクヒロ」ペアで活躍。
2017年・2018年 世界選手権銀メダル、2020年 全英オープン優勝
丸杉バドミントン部所属。
熊本県出身。1993年生まれ。
小学3年生からバドミントンを始め、八代市立坂本中学校を経て、青森山田高等学校へ進学。
高校3年のとき、インターハイ(全国高等学校バドミントン選手権大会)で女子団体戦および女子ダブルスで優勝。高校卒業後は実業団に進み、廣田選手と「フクヒロ」ペアで活躍。
2017年・2018年 世界選手権銀メダル、2020年 全英オープン優勝
丸杉バドミントン部所属。