【元サッカー審判・家本政明さんインタビュー】 サッカーの価値を高めるために、僕みたいなレフェリーがいることに意味があったと思っている

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【元サッカー審判・家本政明さんインタビュー】 サッカーの価値を高めるために、僕みたいなレフェリーがいることに意味があったと思っている
2021年12月、日産スタジアムで開催された「横浜マリノスvs川崎フロンターレ」の試合を最後に、レフェリーとして現役を引退された家本政明さん。
かつて、自身が語った「日本一嫌われた審判」という言葉からも、審判として苦労された様子が伺えます。ジャッジひとつで試合の展開を大きく変えてしまうこともある重要な役割を担う審判ですが、家本さんは「フットボールのおもしろさの中にレフェリーがある」と言います。
約20年間、選手とともにフィールドの中でプレーを見てきた家本さんに、審判の役割や、家本さんならではのサッカーの魅力について伺いました。

高校のサッカー部時代に審判を経験して、なんとなく面白いなという印象があった

--サッカーの審判になられたきっかけは?

もともとは競技者としてサッカーをしていたのですが、高校生のときに体調を崩してしまい、大学生になっても症状は改善されず、大学1年のときに競技者としての道を断念しました。
僕は競技スポーツが好きだったので、それ以外の楽しみ方ではサッカーに満足できず、そこで、審判なら競技としてサッカーに関われると思いました。高校時代に練習試合で審判をしたことがあり、なんとなく面白いという印象があったので、1回資格をとってやってみようと思いました。

--審判として初めてフィールドに立った感想は?

それぞれのユニフォームを着た11人対11人の試合の中に、1人だけ審判として自分がいることにすごく違和感がありました。もちろん、緊張もしたけれど過緊張というほどではなかったですね。審判としてゲームをなんとかやり遂げたあとは、安堵したのを覚えています。
審判は試合において決定権を持っています。自分の経験によって試合の進行具合が変わってくるので、そこが難しさであり、面白さでもあると感じました。

--ご自身で審判に向いていると思われますか?

難しい質問ですね。最終的には受け入れられたので、審判に向いている可能性はあったと思いますが、それはレフェリーをどうとらえるかによって違ってくると思います。と言うのも、僕はいわゆるオーソドックスなレフェリーではなく、異端なレフェリーでしたから。普通、レフェリーは審判のことに一生懸命ですが、僕は審判を踏まえたいろんなことに一生懸命でしたから(笑)。
自分の性格としては、つねに変化し続けたいと思っているタイプで、いろんなものに興味を持つものの、飽き性でもあって、あることをちょっとやったら、興味が変わってしまうということもままあります。それと、人にはすごく興味がありました。自分の変化にも関心がありますが、人に対して、その人が今どういう状況なんだろうと観察する、人をウォッチングするということを意識的におこなっていました。

--審判になるためにどんな勉強をされたのですか?

競技規則を覚えるのはもちろんですが、サッカーのルールはすごく抽象度が高く、そのときのプレーの状況によって答えが変わってくるため、人間の心理などについても学びました。
試合中、選手たちは緊張や興奮もあり平常心ではない状況でプレーしており、そういったときの個人の心理や群集心理、スタジアム全体を含めた集団心理というのは非常に危機的状況に陥りやすいため、レフェリングをする上では、試合中における人々の心理面を理解することがすごく重要になります。
例えば、審判が下した判定に対して選手が反発した場合、こちらも攻撃性を持って選手を否定してしまいがちですが、試合における選手の心理状態や群集心理、行動経済学のような話を知っておくことで、選手の反応もある程度予測でき冷静に対処できるようになります。
冷静さを保ち、つねに客観的に物事を見るというのは審判にとってすごく大事な要素です。そのためには、心をあまり動かすことなく、フィールドにアンテナを張り巡らせて試合で起こっている状況を把握しなければなりません。また、サッカーには見る人を楽しませるエンターテイメントとしての側面があります。
そう捉えたとき、審判は、ただ単に笛を吹いて反則をした選手にペナルティーを与えるだけではなく、フットボールの価値を高める役割も担っていると言えます。
審判として規則に反するようなジャッジを下すことはありませんが、できる範囲の中でエンターテイメント・ビジネスとしての視点を持つことによって、クラブ関係者とのコミュニケーションなども変わってきます。
そういった意味においても、ただ単にジャッジをするという、ルールの番人としての役割はレフェリーのひとつの側面でしかないと思います。僕自身、試合をもっと多面的や多角的に捉えて分析し、必要な情報を付け足していくというところをすごく意識していましたし、結果的にそれが良かったと思っています。

選手としゃべるなとか、笑うなとか、同じ人間なのにどうして?と、ずっと違和感があった

--審判には厳格なイメージがありますが

僕が審判になったのは、もうかれこれ30年以上前。競技規則は審判にとって聖書のようなものですから、当時丸暗記するよう徹底されました。また、「選手としゃべらないように」とか「試合中に笑わないように」などと言われていて、先輩たちも「審判とはそういうものだよ」と言っていましたが、僕としては「同じ人間なのにどうして?」という思いがあり、こうしたことにすごく違和感を抱えていました。
僕が審判になった頃は、とにかく審判は厳格であれ、選手に対しても厳しさを求めよと審判全体がそういった方針でしたが、のちに協会としても厳しい方向に行き過ぎていることが検証され、以前よりはニュートラルに対応できるようになりました。
「審判には厳しさが大事だけれど、それだけではない違った要素も大事」という気づきが大きな方向転換のきっかけになりました。その1つが、審判にとって選手たちは敵ではないということ。フットボールファミリーの仲間の一員として、必要最低限のコミュニケーションはとっていこうという方向に変わってきました。
僕自身はもともとそういう意識でレフェリーを始めましたが、カテゴリーが上がり責任や周囲からの期待などによって、その頃は本来とは違う自分を作らなければならない自分がいました。

--家本さんご自身はどうやって変わっていったのですか?

そういった中で、自分が考えるレフェリーのあり方や、競技の中でレフェリーに求められるもの、さらにフットボールの価値や、どうすれば見ている人を喜ばせることができるか、サッカーファンを増やせるか、などと考えたときに、いま自分がやっていることは違うなと思いました。
愛想だけの小手先のコミュニケーションでは、選手も人間ですから見透かされてしまいます。真のコミュニケーションをとるためには、自分を変えられるかどうか、これまでの自分を否定して、自分をバージョンアップさせていくことが大きなテーマだと考えていました。
また、協会の方針でコミュニケーションをとるように言われたからやるというのは、自分であって自分でないような気がしたので、やるからには本当のコミュニケーションを目指して、それまで自分が隠していた部分を開いていこうと思いました。
僕の場合、選手たちと積極的にコミュニケーションをとったり、ときに笑顔を見せたり、それまでタブーとされていた試合中に謝るといった行為もそうですが、そういうことにどんどんチャレンジしていきました。

--選手とコミュニケーションをとる上で心がけていたこととは?

いくらコミュニケーションをとると言っても、選手は友達ではないので、節度や超えてはいけない線がありますが、その中でお互いが理解し合うためには、言葉のキャッチボールがすごく大事だと思いました。
スキンシップや、空気感、距離感など他にも大事なことはありますが、言語によるキャッチボールは、意思疎通をはかる上では特に大事。僕は言語によるコミュニケーションの方法として、「(情報を)共有する」「(相手の気持ちを)受け取る」「(メッセージを)伝える」ということを意識し、状況に応じて使い分けていました。​
例えば、反則が起きて試合がいったん止まったときなどは、状況を詳しく知るために、意図的に選手に話しかけて情報共有に努めたり、選手に不平不満がある場合はまず僕が受け取って、こちらの伝えたいメッセージを、あえて違う選手に間接的に伝えてもらうなど、自分なりに工夫をしながら、選手に安心感と納得感と信頼感を持ってプレーしてもらうことを考えていました。
それから、僕はウォーミングアップのときから選手をチェックするようにしていました。選手たちの今日の状態を見るのが僕のウォーミングアップの時間。そこでは、それぞれの選手のちょっとしたしぐさにも違いが出ることに気づけます。
先発メンバーとサブの選手にも違いがありますし、うまくいっていないチームの場合、選手は下を向いたり上を向いたり、仲間と目を合わせなかったり。そういった選手たちの表情やちょっとした仕草などから、選手のその日の状態を把握しておきます。
大切なのは選手たちのいまを知ること。ですから、前節の試合などはいくら見てもあまり意味がありません。僕は試合中、ゲームを見ているというより人をよく見るのですが、あるとき、そういうことに特化して見るほうが、ゲームがより魅力的になることに気づいたのです。選手たちをどうまとめて魅力ある作品として、見ている人たちにお届けするか、そういった役割も僕はレフェリーにあると思っています。

「厳しさ」と「優しさ」、審判にはその両方が求められる

--審判をする上で心掛けていたことは?

かつての慣用表現では、よく父は「厳しさ」、母は「優しさ」の象徴とされていましたが、審判には「厳しさ」と「優しさ」、両方の視点を持つことが大切です。ルールがある以上、決まりごとは守らなければなりませんから「厳しさ」はどうしても必要になります。
例えば、子どもたちの試合で、点をとられたくないからとフィールドプレーヤーが手を出して止めてしまった場合、規則ではレッドカードで退場となりますが、レッドカードを出すことはその子からプレーする喜びを取り上げることになってしまいます。もちろん公式戦ではレッドカードですが、子どもたちのそうした行為に対して「仕方ないよね」という「優しい」目線も大事になります。
競技を管理する、決まり事を適用させる役割というのは、審判として試合を成立させるための1つの手段でしかないということは頭ではわかっているつもりでしたが、それを行動としてできるようになったのは審判人生でも晩年になってからです。
最初の頃は、どうしても審判としての評価を気にしたり、競技規則に書かれている決まり事ばかりにとらわれていました。ですが、実はフットボールの競技規則の前文にも、「競技規則は、サッカーをプレーするための「公平・公正」かつ安全な環境を作り上げるだけでなく、サッカーに参加することや楽しむことを促進すべきものである」と書いてあるんです。

-厳しい目と優しい目、2つの目を持つことは難しいように思われますが?

確かに難しく、実際に僕も本当に悩みました。そうしたときに、ビジネス界で引用される「鳥の目、虫の目、魚の目」という話に出会い、ピーンときたんです。自分には「鳥の目」がなかった、と。
「魚の目」は川の流れをとらえる魚のように試合全体の流れなどを読む力のことで、「虫の目」は細かいところを注意深く見る力のことを指します。そして、「鳥の目」は上空から俯瞰で見る鳥のように、物事を客観的に見る力を指しますが、自分にはこれが足りていなかったことに気づきました。
もちろん、客観性は審判にとって大事な要素ですから当然意識しているつもりですが、試合をしていると、ときどき客観性が消えてしまうことがあります。そこで、イメージとして試合中に全体を把握する自分を上空に飛ばしておくようにしました。
以前は「厳しい視点を持つ自分」と「優しい視点を持つ自分」という2人の自分がいたのですが、司令塔となる自分をイメージで上空に飛ばしておくことで、いまは「厳しいほうの自分」が出たほうがいいとか、ここは「優しいほうの自分」が出るべき、とうまくコントロールできるようになっていきました。

審判としてやれることはやったし、次は違うステージで新たなチャレンジをしてみたい

引退を考えた判断の1つに、より多くの人を幸せにしたい、笑顔にしたいという思いがありました。審判としての家本政明だと、1試合で両チームの人数プラス、スタジアムのお客さん、テレビをご覧の方などを含めて、だいたい10万人くらいの人に関わることができますが、審判を辞めて別の活動をすることで、マル(0)の数をもっと増やせるのでは、と思いました。
それに、審判としてはやるべきことはやったと思っていますし、何か違う新しいことにチャレンジしてみたいと思い、引退を決意しました。今後はより多くの人の笑顔と出会うために、多くの人たちとつながりながら、人々の幸せや豊かさを増やしたり高めたりできるような活動をしていきたいと考えています。

--最後の試合の後にはサプライズが待っていましたね

審判として最後の試合となる横浜マリノスvs川崎フロンターレの試合は会場が日産スタジアムだったので、試合が終わったあとに家族で記念撮影だけ撮らせてほしいというお願いは元々していました。それがあのようなかたちで、僕のために花道や団幕まで用意していただいて。あんな素敵なサプライズがあるなんて、それも選手やサポーターの方たちも含めて両チームから祝福されるなんて、まったく想定していませんでした。
想定していないことが起こると、人間は「無」になるんだなと、このとき改めて思いました。頭が真っ白になって、どうしていいかわからない恥ずかしさもありましたが、状況が呑み込めてからは、もう「感謝」という言葉が僕の中に渦巻いていました。

--審判の引退セレモニーというのは珍しいのでないですか?

審判の引退セレモニーというのは、海外でもほとんどないですね。選手たちがちょっとした花道をつくってくれたりすることはあるようですが、ここまで盛大に送り出してもらえるというのは聞いたことがありません。
僕の卒業式ともいえる2021年のラストマッチで、クラブも選手も、お客さんまでもが、かつて“日本で一番嫌われた審判”にメッセージの団幕を出すという、ありえない状況をつくっていただいたということは、みなさんがそれを受け入れてくれた証しであると理解しています。
だから僕がやってきたことは1つの方法論として、僕みたいなレフェリーがいることに意味があったと思っていますし、それによって一定数の方々の支持をいただけたかなと思っています。

そこに関わった人たちがみんなで喜べるというのが、チームスポーツの魅力の根源だと思う

--審判と選手がいい関係を築くにはどうしたらいいのでしょうか?

フットボールの誕生からレフェリーが関わってくる背景を見てみると、もともと審判はおらず、両チームの選手とそれを見ている人たちで成り立っていました。ですが、それだと試合にならないということになり、だったら第3者を入れよう、ということで審判が導入されました。
最近では、審判をリスペクトしようという風潮もありますが、リスペクトは強要されてするものではありません。自然なかたちで審判に理解を求める方法としては、選手やコーチたちに審判を経験してもらうのがいいと思っています。審判の大変さや難しさを知る、少しでも相手の立場を理解するという経験はすごく意味のあることだと思います。

--家本さんから見て魅力的だなと思うプレーヤーとは?

サッカーに限らず、スポーツ選手というのは自分の技術を伸ばしたいと考えている人たちです。それは、「自己主張」の表れでもあり、誰かに認められたいと思っているということは、つねに相手があるという話でもあります。
応援してくれている人を魅了するためには、技術、精神、思考、フィジカル、そして人間力が必要になりますが、そこにフォーカスしていない選手が多いように思います。
やはりトッププレーヤーと呼ばれる息の長い魅力的な選手は、こうした5つの要素がきちんと高い次元でバランスがとれていると感じます。いっぽう、どこかが欠けている、特に人間力が欠けている人というのは、一時期にいい結果を出せたとしてもその状態を長くは保てないと、経験上そう感じています。
サッカー選手に限らず、どうすれば人々を感動させ、熱狂させられるのだろう?と考えてみたり、反対に自分が観客だったらどういう人を応援しようと思い、スポンサードしようと思うのか?といった視点を持つことによって自分の足りないところが見えてきますし、技術以外のところにしっかりと目が向けば、総合的にその選手は花が開くと思っています。

--サッカーの魅力、スポーツの魅力についてはどのように思われますか?

スポーツは、「心の教育」、「体の教育」、「社会性の教育」だと僕は思っています。相手チームや相手選手がいないと試合にならないし、審判がいないと試合になりません。さらに、運営する人や応援してくれる人など多くの人との関わりによって、感謝の気持ちや協調性などが身に付いていきます。そして、そこに関わる全ての人がみんなで喜び合えるというのが、チームスポーツの魅力の根源だと思っています。

--最後に、よりサッカーを楽しむ方法を教えてください

実際に審判の資格を取るほどまで詳しくなくとも、まずはちょっとルールを知っておくだけでも楽しみ方は変わってきます。例えば、サッカーの場合、相手を蹴る、あるいは押す、捕まえるのは反則ですが、これには前提条件があって、「不用意に」「無謀に」「過剰に」おこなった場合と書いてあります。
そこがわかっていれば、いま相手を蹴ったのに審判が笛を吹かなかった、それってファールじゃないの?と多くの人が反応を起こすような場面でも、いや待てよ、いまのは本当に「不用意」だったか?とマニアックな目線で見ることができるようになります。
このように、視点を変えることで違った側面が見えてくるので、その競技の深さを知るためにもルールを知っておいて損はないと思います。運転免許を取るときには交通ルールを学ぶのと同じように、最低限の理解、その競技の特性などを知っておくことで、より楽しみが深まります。
それから、選手の感情面にフォーカスするというのもおすすめです。例えば、今日あの選手はイライラしているけれど、もしかして恋人とケンカでもしたのかなとか、調子のいい選手はやっぱり目の輝きが違うねとか、そうやって選手の感情面にフォーカスしながら試合を見るのも面白いと思います。ぜひ、自分なりの楽しみ方を見つけて、サッカーを大いに楽しんでください。

JSPOフェアプレイニュースにも掲載

JSPOでは、全国の小中学校等に向け、フェアプレーの大切さを伝える壁新聞を発行しています。Vol.144では家本さんのフェアプレーエピソードや、子どもたちへのメッセージなどを掲載していますのでぜひ併せてご覧ください。

家本政明プロフィール

家本政明(いえもと・まさあき)
広島県出身。1973年生まれ。

福山葦陽高校時代はDFとして活躍し広島県選抜に選出。内臓の病気を抱えていたため、同志社大学1年のときにプレーヤーを断念。大学在学中にカイロプラクティックの専門学校に通い、審判員の資格を取得。その後、Jリーグ京都パープルサンガ(現在の京都サンガF.C.)に入社し、クラブの運営に携わる。2002年からJ2リーグで主審を務め、2004年からJ1リーグでも主審を務める。2005年からプロフェッショナルレフェリーとして日本サッカー協会と契約し、国際審判員としても活躍。2021年12月、サッカー審判員を勇退し、新しいチャレンジへと踏み出した。