【ボッチャ・杉村英孝選手インタビュー】 「スポーツは楽しい!」って思えるかどうかが大事な要素。ボッチャを通じてそのことを伝えていきたい

する
【ボッチャ・杉村英孝選手インタビュー】 「スポーツは楽しい!」って思えるかどうかが大事な要素。ボッチャを通じてそのことを伝えていきたい
19歳のときに福祉施設の先生の勧めでボッチャを始め、2009年の日本選手権で3位に。翌年には日本代表に選出され、ロンドン2012パラリンピックからボッチャの主将を務める杉村英孝(すぎむら・ひでたか)選手。
リオデジャネイロ2016パラリンピックでは団体戦で銀メダル獲得に貢献。東京2020パラリンピックでは、個人戦で念願の金メダルを獲得。団体戦では銅メダル獲得という活躍を見せてくれました。
得意のショット「スギムライジング」がその年の新語・流行語トップ10に選出されるなど、ボッチャの人気をけん引する杉村選手に、ボッチャの魅力について伺いました。

ボッチャに出会って、夢を与えてもらって、いろんな人たちと出会い、つながりがもてるようになった

--ボッチャを始めたきっかけは?

9歳のときに福祉施設の先生の勧めでボッチャを始めました。最初はこんなスポーツがあるんだなと思う程度で、それがパラリンピックの競技かどうかも知らずに取り組んでいました。
もともとスポーツは見るのも、するのも好きで、学生時代はお昼休みや放課後に、サッカーやツインバスケットボール(※)などをしていました。サッカーも通常のルールではなく、ボールを変えてみたりして、みんなで工夫しながら楽しんでいました。
※ツインバスケットボール:通常のバスケットボールのゴールのほかに1.2mの低いゴールを用意し、2組のゴールを使用する車いすバスケットボールの一種
もともとボッチャは外に出るきっかけづくりとして始めました。ボッチャをすることで練習場に行き、そこで仲間や指導者の方たちと関わるなど、社会に出ていくためのツールとしての意味合いが大きかったように思います。

--ボッチャを競技として取り組み始めたのは?

まずは静岡県内の大会にエントリーして、そこで少しずつ成績が残せるようになってくると、もっと強い選手たちと対戦してみたいという気持ちが湧いてきて、日本選手権に挑戦するようになりました。しかし、初めて出場したときはコテンパンにやられ予選敗退でした。
もともと、負けず嫌いな性格なので、そこで“頂点を獲りたい”という気持ちが芽生えてきました。そういう気持ちはいまも変わらず、それをモチベーションにしてより高みを目指しています。
負けた悔しさというのは、そのときは辛いし悔しいけれど、失敗をしたときこそ上手くなれるチャンスがあると考えるようにしているので、失敗の経験というのは、成功したときよりも記憶に残っています。
そういった課題や壁を乗り越えたときに、人は成長できると思っていて、そんな繰り返しとその小さな積み重ねが自分を強くし、夢や目標に近づいていくことができるのだと思います。

--ボッチャをやっていて良かったと思うことは?

いろんな人たちと出会えたことです。ボッチャに出会って、ボッチャに夢を与えてもらって、夢を追い続けるなかで、本当にボッチャをきっかけにしていろんな人たちと出会って、その人たちとのつながりのなかでいろんなことを学び、経験をして今があると思っています。
合宿や大会に行けば、同じ目標に向かって切磋琢磨し合える仲間に会えるし、イベントや学校の体験授業などに行けば、ともにボッチャを楽しみに待っていてくれる人がいる。そういうひとつのスポーツによってつながっている空間はいいなって、そういうときがボッチャをやっていて良かったなって思える瞬間だと思っています。

ボッチャが好きなので、好きなことは楽しまないともったいない。 スポーツをする上で楽しむというのは重要な要素だと思うんです。

--東京2020パラリンピックを振り返ってみて

コロナ禍という大変な状況の中での大会だったので、本当に多くの方のご尽力によって、1年の延期を経て開催され、そういったなかで各国のアスリートが参加をしてくれて、そこに自分自身も選手として参加できたということが、東京2020パラリンピックの全てだったと思っています。

--ボッチャ日本代表「火ノ玉ジャパン」の主将として心がけたことは?

主将として何か特別なことをやってきたというつもりはないのですが、これまで大会を多く経験してきた分、私が他の選手と、監督やコーチのパイプ役になろうと思いました。
私自身、口数も少ないし、大きな声で盛り上げて引っ張っていくタイプではないので、まずは自分自身がしっかりプレーすることで最後まで諦めない気持ちを伝えたり、自分が勝つことでチームをどんどん盛り上げていこうという思いでやっていました。
チームとしてみんなが同じ目標に向かって挑むときには、技術などでは表せないような力が発揮されると思います。
東京2020パラリンピックでは、火ノ玉ジャパンは「一丸」というコンセプトで戦いましたが、コートの上でプレーする選手だけでなく、コーチ陣や、東京2020パラリンピックに出られなかった選手たちや、日頃応援してくれている方々の思いなど、すべてをひとつに、まさに一丸となって戦えたことが、火ノ玉ジャパンが獲得した金銀銅3つのメダルにつながったと思っています。

--個人的には「楽しむ」ことをテーマにされていたそうですね

とにかくボッチャが好きなので、好きなことは楽しまなければもったいないし、自分が楽しむことで見ている方にもスポーツの楽しさや、ボッチャの魅力、すごさというものが伝わると思っていました。
やっぱりスポーツをするにおいて「楽しむ」ことは欠かせない要素だと思うんです。なので、シンプルですが、最高の舞台でボッチャを楽しむ、というのを目標のひとつにして挑みました。
結果として最高の結果になりましたが、とにかくリオデジャネイロ2016パラリンピックから5年間取り組んできたことを、自信を持って臨むだけでした。
そこでうまくいこうがいくまいが悔いなく戦うっていうのが、一番大事だと思っていたので、そういう意味でも、自分が大好きなボッチャを楽しめたっていうことが、いい結果に向かったのだと思います。

--杉村選手の躍進の要因を教えてください。

「自分を知る」ということもテーマに取り組んでいました。例えば、試合中、自分は冷静を装っているつもりでも実際はカッとなることもあるように、自分の性格についても、実際に自分が思っていることと、身体に現れることには違いがあることがわかりました。
なので、普段の練習のときからつねに冷静にプレーすることを心がけ、そうした一つひとつを反復していくことで、どんな状況でも混乱しないで冷静に対処できる自分を目指しました。
練習でできないことは本番でも出せないと思うので、つねに感情をコントロールできるように、コーチとともにできるまで反復して取り組みました。
そのことに自信があったからこそ、東京2020パラリンピックは緊張することなく、本当にボッチャを楽しむことができました。
自分は性格的には、人見知りが激しく、口数も少ないですが、ボッチャに対しての内なる思いは、誰より熱いものを持っていると思っています。

見えるサポートも、見えないサポートも、本当にたくさんの人たちにささえられている

--東京2020パラリンピックに向けて環境面にも変化があったようですが…

個人としては、リオから東京に向けての変化が一番大きかったと思っています。環境面で言うと、コーチに見てもらう練習時間を増やし、自分専用の練習場を確保できたということも大きかったです。
「自分を知る」というテーマでは、自分の身体と競技用具をマッチングさせていくことも、大事な要素でした。例えば、車いすであれば、座面のクッションの厚みや高さ、角度を1mm単位で微調整してもらったり、ボールも重さや革の質感などを自分に合ったものを選んだり。そうした一つひとつを自分の身体に合わせて、感覚をさらにマッチさせていきました。
ボッチャは室内競技ですが、気温とか湿度とかによってボールの転がりとか、跳ね具合とか動きが全く変わってくるので、そういった環境によって使うボールをセレクトしたり、対戦相手によってもボールをセレクトするようにしました。

--杉村選手をささえてくれる人たちについて

自分がボッチャをするにあたっては、携わってくれるすべての人たちに感謝しています。両親をはじめ、職場の方々や他にも応援してくださる方々、コーチやメカニックの方々など。見えるサポート、見えないサポートといろんな方々に支えてもらっていますが、メカニックの方々のように、見えないところでサポートしてくれる方々の力というのも、本当に大きいと感じています。
両親はつねに私の健康を気にしてくれています。2人とも多くを語るタイプではありませんが、合宿や国際大会に行くときなどは、結果以上に、まずは私が健康であること、元気でいることを気にかけてくれるので、親というのは有難い存在だなと思います。
普段は平日の週5日のうち3日、朝10時から4時ぐらいまではボッチャの練習をしていて、週2日は職場に出社してパソコンを使った事務仕事をしています。いつも応援していただいて、職場の方たちにも感謝の気持ちが尽きません。

--みなさんのご活躍で、ボッチャの人気も高まってきているように感じますが

はい。まだ無名の頃から私をサポートしてくださる方もたくさんいますが、結果を残すことでボッチャの知名度も上がり、自分の知らないところでも、私のことやボッチャのことを知ってくれる人が増えてきました。
東京2020パラリンピックの後、地元(静岡県)を歩いていたときに、知らない方たちから「おめでとう!」って声をかけていただいて。「ボッチャの選手だよね?」って、競技名や私のことを覚えていただけるようになりました。
自分たちの知らないところでも応援してくれる人たちがいる。こうした見えないところでサポートしてくれている方たちのことも意識して、しっかり結果を残していくことが大事なことだなと改めて思いました。
スポーツは、「する」「みる」「ささえる」と、いろんな関わりがあると思っていて、人と人、人と社会をつなげてくれる力がある、そのことを実感しています。
その目的は人それぞれであったとしても、協力し合ったり、互いを高め合ったりして、新たな発見が生まれ、また次に踏み出す勇気や希望が持てたり、幸せを感じたり、スポーツにはその人の未来に影響をもたらす大きな力を持っていると感じています。

自己選択、自己決定の競技。ボッチャは1アスリートとして自分を表現できる

--ボッチャは試合前に特有の慣習があると聞きましたが…

ボッチャの試合では、試合前に選手たちが「コールルーム」という部屋に集まり、お互いに挨拶を交わしたり、ピンバッジや自国のお土産などを交換したりする慣例があります。
東京2020パラリンピックはコロナ禍だったこともあり、すべての人が待ち望んだ大会ではなかったかもしれません。そんななかでも自国でパラリンピックが開催され、さまざまな困難もあるなか、各国のアスリートが参加してくれて、最高の舞台で最高の選手たちと戦うことができました。
そのことが素直に嬉しくて、その感謝の気持ちを何か自分なりに思いを伝えたいと思い、「日本に来てくれてありがとう」というメッセージを、その対戦する選手の母国語で書いたカードを渡しました。

--ボッチャはSDGsの観点からも注目されていますね

誰でも気軽に楽しめるボッチャは、「誰一人取り残さない」というSDGsの考え方のもと、「多様性」や「共生社会」に関わりが深いスポーツと言えます。
障がいがあろうがなかろうが、人々がお互いを理解し合おうとするとき、スポーツはとても良いツールになると感じています。
ボッチャをするうえで、健常者と障がい者の壁をなくすために一番大事なことは、「接すること」と「知ること」。それを楽しみながらできるのがボッチャだと思っています。
競技のことだけではなく障がいのことを理解してもらうことで、社会で共に生きるためのヒントが得られる。それが、“みんな一緒が当たり前の社会”への一歩につながると思うので、どんどんボッチャを広めていって多くの人たちに体験してもらい、その楽しさを知ってもらいたいと思います。

--ボッチャを始めて何か変わったところはありますか?

日本代表として初めて海外の国際大会に出場したとき、初めての海外で右も左もわからない状態でしたが、そこで感じたのは、競技をしている間はみんな1障がい者ではなく、1アスリートとして自分を表現してプレーしているということでした。
大会の運営側も、選手に対して本当に1アスリートとして向き合っているということが、自分のこれまでの人生で体感したことのない世界観だったので、すごく新鮮で、そのときにボッチャ競技に対する価値観が変わった瞬間でした。

--ボッチャをされるなかで大切にされていることは?

ボッチャでは試合が始まるとき、対戦する選手と「グッドラック!」と挨拶をして、終了時には「グッドゲーム!」と挨拶をします。
試合後にはお互いの健闘を称え合い、試合中相手がいいプレーをしたら拍手をおくり、敬意を払う。そうやって、お互いが気持ちよく力を出し切ることで、勝ち負けを越えてボッチャという競技を心から楽しめて、きっと見てくれている人、応援してくれている人たちにもそういった思いが伝わり、感動を共有できると思います。
挨拶というのは、そういった思いやりの心を表現できる方法のひとつだと思っていて、挨拶によって、お互いが心を開いて、心を通わせて、心で繋がることができる。何も言葉に出すことだけが挨拶ではありません。すれ違った時に軽く会釈をしたり、例えばジェスチャーでも相手を思う気持ちは伝わると思うので、挨拶は普段から意識してするようにしています。

--ボッチャの魅力について教えてください。

ボッチャは本当に魅力がいっぱいあって、子どもも大人も、障がいのある人もない人も、性別、国籍など全ての垣根を超えて、みんなが同じステージで戦えて楽しめるというところが良いところだと思っています。
これは、今の社会の重要なワードであって、「共生社会」というものを体現できるスポーツであるというのがボッチャの大きな魅力のひとつだと思っています。
また、ルールが簡単で、でもその簡単ゆえの奥深さがあり、相手との駆け引きとか、ボールの使い分けとか、最後の1球で一発逆転があったり、そういった面白さもあるので、やればやるほど夢中になってしまうスポーツと言えると思っています。
それと、自分が 20年以上ボッチャをやってきて、競技者として感じる魅力は別にあって、それは、自分がやりたいことを自分が選択して決定して表現できること。自分では「自己選択」と「自己決定」の競技であると言っていますが、私たちは日常生活においては介助が必要です。だけど、試合のなかでは誰の手も借りることができませんし、コートでは自分の考えたこと、やりたいことを自分で決めてプレーができます。
どんなに障がいが重くても最終的な判断は全て選手がおこなうというところに、この競技のすごさや魅力を感じていて、本当に素敵な競技に出会えたなと思っています。

「これなら私もできる!」と思える気軽さがボッチャの魅力。その楽しさ、百聞は一投にしかず

--初めてボッチャをする人たちの反応は?

人にボッチャを勧めるとき、私はよく「百聞は一投にしかず」という言葉を使います。ボッチャは初めての方でもできるし、小さいお子さんからご年配の方まで気軽に楽しめるスポーツです。
ですが、自分がそうであったように最初は誰だってボッチャのことを知りません。そこで楽しいと感じてもらえれば、自ずと広がっていくと思うので、まずは聞くより見るよりも投げてみて、その楽しさを体感してもらいたい。
実際にボールを投げてみてもらうことで、その競技の楽しさはもちろん、選手のすごさというものも感じてもらえればと思っています。

--ボッチャを通じて杉村選手が伝えたいことは?

やっぱり「スポーツは楽しい!」って思えるかどうかということが、スポーツをやる立場においても、教える立場においても、欠かせない大事な要素なのかなと思っています。
だから、そういったところを意識してもらえたらすごく嬉しいし、そこにあえて加えて言うのならば、ボッチャのように「これなら私もできる!」と思えるスポーツをどんどん発信していきたい。指導者の方もそうですし、私自身もボッチャ競技のアスリートとして、そうした魅力を伝えていきたいと考えています。
ボッチャの普及活動のなかで特別支援学校に行った際、参加してくれた生徒さんから、「今までスポーツはできないと思っていたけどボッチャはできると思う」という言葉をもらいました。その言葉を聞いたときに、私と同じようにボッチャというスポーツに可能性を感じてくれているんだなと、とても感慨深い経験をしました。
スポーツに取り組もうとする際は、できるだけ選択肢を広げてあげて、そのなかで、自分ができる・できない、自分に合う・合わない、というものを見つけていってくれたらいいのかなと考えています。

--杉村選手の今後の目標を教えてください。

まずは、パリ2024パラリンピックの出場権を取ること。そして連覇を目指していく。そこは揺るぎない目標になっています。勝負の世界というのはつねに挑戦の繰り返しですから、今日の自分を明日の自分が超えていけるように精進していきたいなと思っています。
これまで積み上げてきた経験や学びの層が大きな土台となって自分を強くしてくれていると信じているので、さらにそこに日々の積み重ねを大事にして成長していきたいです。
そして、ボッチャ日本代表「火ノ玉ジャパン」では、サポートしてくれる方々、応援してくれる方々の思いをつなげてひとつになって戦っていきたいと思っているので、引き続き応援していただけたら嬉しいです。

杉村英孝選手プロフィール

杉村英孝(すぎむら・ひでたか)
静岡県伊東市出身。1982年3月1日生まれ。

先天性の脳性まひで小学校から高校まで静岡市内の特別支援学校に通う。19歳のときに福祉施設の先生の勧めでボッチャを始め、2009年の日本選手権で3位に。翌年には日本代表に選出され、ロンドン2012パラリンピックから、リオデジャネイロ2016パラリンピック、東京2020パラリンピックと3大会ともボッチャ日本チームの主将を務める。東京2020パラリンピックでは個人戦で日本ボッチャ史上初となる金メダル、団体戦(脳性まひBC2)で銅メダルを獲得。静岡ボッチャ協会所属。伊豆介護センター勤務。