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「パラの選手は遠慮している」。そういう消極的な気持ちが競技にもにじみ出ていた
--パラトライアスロンに挑戦されたお二人ですが、お互いの第一印象は?
米岡選手の第一印象はド真面目。ここまで真面目な人にはなかなか会わないというくらい真面目なので、ペアを組む上でカタくなり過ぎないようにしたいと思いました。
--ペアとして行動を共にする上で苦労された点などはありますか?
初めの頃は、米岡選手がどうしたいのか意思があまり感じられないというか、競技に対してもっと頑張れるんじゃないかという思いがありました。
実はチームの監督からも「パラの選手はすごく遠慮している」とよく言われますが、僕の中ではそれが当たり前というか、日常においてもいろいろとサポートをしてもらわないと生活が成り立たないところがあるので、心の底には迷惑をかけているなという思いが常にあります。
「パラリンピックでメダルを目指す」と言ったものの、どこかそういう消極的な気持ちが競技にもにじみ出ていたんだと思います。
--お互いがうまく行き始めたきっかけは?
パラリンピックの半年前くらいにケガをしてしまい、一度心が折れてしまいました。そこから再びメダル獲得を目指すために心のネジを巻き直して、計画など自分で考えて発信していくようになりました。
4月からメンタルトレーニングをはじめ、専門の先生と3人でミーティングをするようになったのですが、先生に「自分の性格を変えることは難しいから、競技をしているときだけ競技用の性格を演じてみては」と言われ、少しずつ引っ込み思案な性格を変えていったことで、椿選手とのコミュニケーションもうまく行き始めたように感じています。
お互いに役を意識するようになってから、 米岡選手が何をしたいのか、どういうことを考えているのかが言葉として出てくるようになり、二人のこの取り組みが前に進み始めたのを実感しました。
残されたものを究極まで磨き抜いた人、それがパラアスリート
--米岡選手のガイドという視点で気づかれたことなどありますか?
僕自身、トライアスロンで出場を目指した2016年のリオデジャネイロオリンピックでは代表の1枠にあと一歩届きませんでした。そこで、次の東京大会では絶対に代表になるぞと思った矢先(2016年の8月)頭に脳腫瘍が見つかり手術をすることになりました。治療に1年ほど費やし、その後競技に復帰したのですが、思うように記録を伸ばすことができませんでした。
今回、米岡選手のガイドとしてパラアスリートの方たちとかかわるなかで彼らの能力の高さに驚くとともに、手術をしたことを記録が伸びない言い訳にしていたことに気づきました。
正直言ってそれまでは、障がいのある選手を、視力がない、片腕・片足がない、体が麻痺しているという「引き算」で見てしまっていましたが、そうではなくてパラアスリートは自分に残されたものを究極まで磨き抜いた人たちなんだということに気づかされました。
--パラアスリートの凄さを感じたエピソードなどありますか?
初めて行く合宿地でタンデムバイク(パラトライアスロンで使用する二人乗りの自転車)の練習中、ある交差点で真っ直ぐ進むか左折するかわからなくなってしまい米岡選手に聞いたところ、「ここはあの信号でしょ?だったら左だよ」と教えてくれました。正直「本当かな?」という思いもありましたが、しばらく進むと見覚えのある道に出たので、そのときは視覚を補う米岡選手の「空間認識能力」の高さに驚きました。
メダル獲得のためにできることをとことんやる。その過程が大事だということに気づけた
--今回のチャレンジを通じて得たものとは?
ケガをして途中で心が折れてしまったり、記録が伸びず「メダルは無理かも」と弱音を吐いてしまったりしたこともありましたが、最初から最後までチームで戦い抜いた経験が大きな財産になりました。
僕の場合、日常生活でお世話になっている人たちのためにもメダルを獲得したいと思っていましたが、自分自身が「心底メダルが欲しい」と思わなければ到底届かないことに気づかされました。
特に最後の約100日間は「計画・準備・実践」を実行し、つねに自分たちの現在地を確認しながら頑張れたことが、メダル獲得につながったと思います。
また、メダルを獲得できなかったとしても、目標に向けてできることをとことんやる、その過程が大事であることに気づけました。
--感謝したい人は誰ですか?
チームの監督、ナショナルチームのコーチ、ガイドの椿くん、友人、家族、同僚と、感謝を伝えたい人はたくさんいますが、特に椿くんには感謝しています。足を向けて寝られないです(笑)。
僕もたくさんいますが一番は妻です。僕は合宿や大会などで家をあけることが多いのですが、この前数えてみたら1年の3分の1は家族と一緒に過ごせていません。家族の理解がなければ競技を続けることはできないと思うので、本当に有難いですね。
--今後の目標について教えてください?
今回の経験を活かして、今年おこなわれるブラインドマラソンの世界大会を目指してみようと考えています。もともとマラソンをやっていたので、「今の状態でマラソンに集中したらどこまで行くんだろう」ということにすごく興味が湧いてきていて、しっかり集中して取り組んでみたいと思っています。
トライアスロンを選手としておこなうチャレンジは、2024年のパリオリンピックへの挑戦を最後のチャレンジにしようと思っています。ですが、パリオリンピックはあくまで通過点で、その先に「自分史上最強の男になる」という目標を掲げています。
これは、父として、夫として、アスリートとして、社会人として、いろんな意味でいろんな方から頼りにしてもらえる存在になるということで、その理想に近づくことでパリオリンピックにも近づけるのではないかと考えています。
お互いを理解し合う…こうしたイベントがひとつのきっかけになってくれたら嬉しい
--共生社会の実現に向けて、こうしたイベントを開催する意義について
パラリンピックなどの開催もあり、ひと昔前に比べるとパラスポーツが認知され始め、障がい者がスポーツを楽しめる環境、周囲の理解が少しずつ広がってきていると感じています。
こうしたイベントを通じて、まずは僕たちパラアスリートのことを知ってもらうこと。こういう人間がいるんだよということを認知してもらうことがすごく意義深いことだと思います。
そして、パラスポーツをきっかけに、実生活でも「こんなとき障がいのある人はどうするんだろう」と興味を持ってもらい、お互い(健常者と障がい者)の相互理解が進むひとつのきっかけになってくれたら嬉しく思います。
--障がいのある方も一緒にスポーツを楽しむ上で大切なことは?
障がい者の立場で言うと、まずは一歩踏み出す勇気が必要になります。スポーツをしたいという気持ちがあっても、気持ちを伝えないことには周囲の理解は得られません。そのため、まずはしっかり意思表示をしてそれを行動に移すことが、一緒にスポーツを楽しむ第一歩になると考えます。
たとえばガイドという役割をみても、こちらが「ガイドをしてあげている」という意識だとお互い面白くありませんし、結果もついてこないと思います。僕は「二人でスポーツを楽しんでいる」というのが正解かなと思っていて、一緒に走ったり泳いだりすることで僕自身も成長するきっかけをもらえているので、そこはお互い様だと思います。
--共生社会におけるスポーツの役割とは?
障がいがあろうがなかろうがお互いを理解し合うときに、スポーツはひとつのいいツールになると思います。こうしたツールはスポーツに限らず、音楽でも演劇でもお互いに興味を持てて、リラックスしていろんなことを話し合えるものであれば、障がい者と健常者のお互いの距離が近づくいいきっかけになると思います。
正直最初は、目の見えない米岡選手に対してどう接したらいいんだろうと不安もありました。ですが、一緒に汗をかき、きつい練習を乗り越えるたびにどんどん打ち解けていって、競技者とガイドの関係から、一人のアスリート同士の関係になっていきました。このように障がい者と健常者の垣根を越える役割としてもスポーツの価値は高いと言えます。
スポーツにおいて健常者と障がい者を分ける必要はなく、その理解がもっと深まれば、そこにフラットな社会が見えてくると思います。
同期入社なのでお互いに面識はありましたが、椿選手は競技に対して真摯に取り組んでいて、僕よりもずっと熱い男だなと思っていました。