【バレーボール・迫田さおりさんインタビュー】 自分らしく楽しくプレーする。厳しい環境も経験して、改めてその大切さに気づけた

する
【バレーボール・迫田さおりさんインタビュー】 自分らしく楽しくプレーする。厳しい環境も経験して、改めてその大切さに気づけた
写真提供:時事通信社
実業団チーム「東レアローズ」で11年間プレーされた迫田さおりさん。コート後方から走り込んできて颯爽とバックアタックを決めるその姿を覚えている方も多いのではないでしょうか。高校時代には国体にも出場されるなどトップレベルの最前線を歩まれてきたように思いますが、ご本人によると、入団当時は期待された選手ではなかったそうです。
そんな迫田さんに、高校時代の楽しい部活動や、厳しさを感じた実業団などさまざまなエピソードについてお話を伺いました。

バレーボールを始めたのは小学2年生の時。1年待って念願の「スポーツ少年団」へ入部

--バレーボールを始めたきっかけは?

小学生の頃、2歳上の姉がスポーツ少年団(谷山スポーツ少年団)でバレーボールをしていたのを見て、私も大好きな姉と一緒にバレーボールをしたいと思いました。ですが、そのチームの入部条件は3年生から。当時2年生だった私は1年間、父と2人で小学校の校庭で練習していました。
もともと身体を動かすことが大好きでした。姉のことも大好きだったので、子どもの頃はいつも姉のあとを追いかけていましたね。

--中学校でバレーボール部に入部されますがどんなチームでしたか?

全国大会こそ行っていませんが、鹿児島県の大会では優勝するようなレベルのチームでした。私自身、上手いか下手かというより、身長が高かったので、「なんとなくできる」といった感じの選手でした。

--高校進学の際は強豪校からスカウトの話もあったそうですが?

はい、有難いことにそういったお話もいただいたのですが、中学のバレーボール部が強豪校ほどではないものの、自分にとっては厳しくてきついと感じていました。そのため、高校ではもう楽しくバレーボールがしたいと思いましたし、もともと強いチームで相手に挑まれるよりも強いチームに挑むほうが好きだったので、姉と同じ県立鹿児島西高校に進学しました。
高校での部活動では本当に楽しい思い出しかありません。勝つことにこだわらず、ただ楽しくやりたいという思いで取り組んでいたものの、同学年に上手な選手が多く、最終的には県で2位にもなれました。

楽しかった高校時代、「国体」のメンバーにも選ばれて、厳しい世界も経験

--いっぽうで高校時代には国体の選抜メンバーにも選ばれていますね

そうなんです。楽しくバレーボールがしたいと思って西高に入ったのに、高校1年のときから国体のメンバーにも選んでいただいて。正直、嬉しいという気持ちもありましたが、嬉しいより緊張や不安な気持ちのほうが大きく、私でいいのかなと思っていました。
県を代表する選抜チームですから、やはり勝つことを目指さなくてはならないという思いもありましたし、そういった意味ではそこは西高とは違って厳しいバレーボールの世界でした。

--国体で印象に残っているエピソードなどはありますか?

高校バレーでは、春高、インターハイ、国体、この三冠を獲ったらすごいと言われています。春高やインターハイは自分の高校のチームとして出場するのに対して、国体は県の代表として県を背負って戦うので、独特な雰囲気があると思いました。
国体では、ユニフォームやジャージを国体用に支給していただけるのですが、鹿児島県の白と青のジャージを着たときに、選ばれた人しか着られないという特別感がありました。

--国体はいい経験になりましたか?

強豪校の選手たちと同じチームとしてプレーしたり、一緒に時間を過ごしたりしたことはとてもいい経験になりましたし、改めて応援してくださる人たちや、自分を支えてくれている人たちの存在が大きいことに気づきました。
私を選抜メンバーに選んでいただいたように、私のことを見て評価してくれている人がいる。実際に国体でのプレーを見て、実業団の東レアローズから声をかけていただきました。

実業団は高校時代とは180°違う世界。いちばん違いを感じたのはバレーボールに対する熱量

写真提供:時事通信社

--もともと実業団でプレーしたいという気持ちはあったのですか?

まったくありませんでした。そもそも実業団というチームがあることすら知らなかったので、東レのスタッフの方が高校に来たときも「この人は誰だろう?」と思っていました。
正直、実業団のようなチームから声がかかるなんて思っていませんでしたし、私自身にはバレーボールでトップになるという欲もなかったので、入団に関しては高校の監督や両親の勧めによるところが大きいですね。

--実際に「東レ」に入団されてみてどうでしたか?

チームの選手たちは春高やインターハイで優勝するような、つねに全国制覇を狙っているような強豪校出身の選手ばかりだったので、そういった選手たちの技術はもちろんのこと、バレーボールに対する熱量がすごいと感じました。
最初のうちはまだピンときていなかったのですが、先輩たちと一緒に過ごしていくうちに、少しずつ自分の技術の無さや、周囲に気を配れない自分の弱さなど、バレーボールに対する姿勢の違いを思い知らされました。
「社会人としてバレーボールをさせていただく環境に飛び込むのだから、部活動の延長線のように考えていてはいけない」と、先輩からもよく言われました。
自分は弱く何も持っていない、先輩たちのようなレベルには届かないし、私はここに来るべきではなかったとマイナスに考えてしまい、入団して4年間はレギュラーにもなれずにくさっていました。

厳しかったけれど、1人ひとりを伸ばそうとするチームの雰囲気があった

写真提供:時事通信社

--そうした状況のなかでも辞めずに頑張れたのはなぜですか?

本当に先輩たちが厳しく、よく𠮟られました。練習もきついし、監督からも叱られるし、という状況でしたが、一歩コートを出れば、先輩たちはなぜ厳しくするのかということをしっかり教えてくれて、励ましてくれました。
私がホームシックで泣いていたときには、先輩たちが私を慰めようとサプライズでケーキを作ってくれたこともあります。
ほかにも、練習が終わったあと先輩が「トスあげるから練習しよう」と言ってくれたり、コーチの方も、たくさんの選手を見ているにも関わらず、私の練習に付き合ってくれたり、そういったまわりの人たちの支えがあったからこそチームに居続けることができたし、そうした過程があったからこそ、チャンスをつかむことができたと思っています。

--迫田さんの中で意識が変わった出来事などはありましたか?

バレーボールに対する意識が高く、技術もある、そんな人たちに追いつこうとして焦っていたとき、ある先輩からこんな言葉をかけてもらいました。
強豪校のエリート選手を高級なメロンに例えて、「メロンにはメロンのいいところがある。リオはトマトだけれどトマトの良さというのが必ずあるから、それを活かしなさい」と。「リオ」というのはチームでの私のニックネームです。
先輩は私がトマトを好きなことを知っていて、私をトマトに例えてくれたのですが、確かにトマトが高級メロンになろうなんて無理だし、トマトが好きと言ってくれる人が1人でもいるのであれば、その人のためにも頑張ろうというふうに考えるきっかけを与えてもらいました。

--プレーにおいても何か変わった点などはありますか?

それまでは「あの選手のようになりたい」と思っていましたが、私はそこまで器用なほうではないので、まずは自分のできることを考えるようになりました。
あるとき、先輩から「バックアタックを打ってみようよ」と言われて、遊び半分で打ってみたら、意外と打てるね、という感じで。それ以来、先輩が発見してくれた私の武器として、バックアタックだけは誰にも負けないようにしようと強く思いました。
自分らしさで勝負するなら、それをとことん極めなくてはいけない。そこで自分が必要とされなくても、自分らしさという軸を持ち続けることは大事なんだなということに気づきました。
ただただ楽しくバレーボールがしたいと思っていた私にとって、東レでの経験は大きな財産になりました。

強豪校じゃないとダメということはない。自分に合った環境でスポーツを楽しんでほしい

--スポーツをする上で子どもたちに伝えていきたいことは?

まずは楽しいと思う感覚を大切にしてもらいたいですね。その先では、きついとか、苦しいとか、苦労する場面にも出会うかもしれませんが、そうした苦労も仲間とともに乗り越えていくことに価値があると思います。
また、私自身がそうだったように、強豪校じゃなければダメということはなく、どこに行ったとしても本人の気持ちが大事だということ。どの道に進んでも見てくれている人はいると思うので、自分に合う場所を探すことが大切だと思います。
「ちょっと身体を動かしてみよう」とか「このスポーツをやってみたい」とか、スポーツを始めるきっかけはなんでもいいと思います。実際にやってみて「スポーツが楽しい」と思ってもらえたら嬉しいし、そういったことの積み重ねが夢や目標につながっていくと考えています。

JSPOフェアプレイニュースにも掲載

JSPOでは、全国の小中学校等に向け、フェアプレーの大切さを伝える壁新聞を発行しています。Vol.136では迫田さんのフェアプレーエピソードや、子どもたちへのメッセージなどを掲載していますのでぜひ併せてご覧ください。

迫田さおりさん プロフィール

小学3年でバレーボールを始め、高校卒業後の2006年にVリーグの東レアローズに入団。2010年4月からは、全日本女子バレーボール代表登録メンバーとなり、数多くの世界大会で活躍。2012年8月のロンドン五輪では、28年ぶりのメダル獲得に大きく貢献。2016年のリオデジャネイロ五輪にも出場し、5位入賞。2017年5月30日に東レアローズを退団し、現役を引退。現在はスポーツ文化人として、バレーボール主要大会の解説を始め、テレビ、トークショー、バレーボールクリニックなど、さまざまな活動を展開中。