【陸上・廣中璃梨佳選手インタビュー】 「これしなきゃ」と思ってやるよりも、今の自分の気持ちを大切にすることで好きなことが続くし、さらに上を目指せるようになる。

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【陸上・廣中璃梨佳選手インタビュー】 「これしなきゃ」と思ってやるよりも、今の自分の気持ちを大切にすることで好きなことが続くし、さらに上を目指せるようになる。
全国高校駅伝の長崎県予選では3年連続で1区の区間賞を記録。高校卒業後は日本郵政グループ女子陸上部に所属する廣中璃梨佳(ひろなか・りりか)選手。全日本実業団対抗女子駅伝(クイーンズ駅伝)では2019年、2020年とチームの優勝に貢献。2021年の東京2020オリンピックでは、5000mで9位と入賞は逃したものの14分52秒84のタイムで日本記録を16年ぶりに更新し、10000mでは、31分00秒71で7位となり日本人選手として 同種目で25年ぶりの入賞を果たしました。
2023年9月に開催されたアジア大会では陸上競技女子の主将を任された廣中選手に、陸上を始めたきっかけや走ることの楽しさなどについてお話しを伺いました。

小学1年生で味わった悔しさと、練習して1番になれたことで知った走る楽しさ。

--陸上を始めたきっかけは?

小学校の学校行事で持久走大会があって、小学1年生のときは4着でした。最後の最後で3着の子に抜かれてしまって…それがすごく悔しかったんです。それで2年生のときは大会前に練習をして1番になりました。

それから6年生まで、誰にも負けていません。距離は低学年が1.5km、高学年が2km。1番になれたことで「走る楽しさ」を知って、そこから地域のロードレース大会などに出場するようになりました。

小学校の頃は、水泳教室にも通っていましたが、小学6年生のときに陸上クラブに誘われて少しだけクラブに入って、中学校から陸上部に入って本格的にやり始めました。

--中学生時代の陸上部の雰囲気は?

中学校の陸上部は、強豪校のような陸上部ではなく、先輩たちも優しくて、割とわきあいあいとした、楽しみながら練習するといった感じの部活動でした。
顧問の先生の他に、水曜日と土曜日のポイント練習(現状の自分の限界を底上げするためにおこなう強度の高い練習)のときだけ外部のコーチに来ていただいて、私の学年で長距離は私だけだったので先輩についていくのに必死でした。

--高校は長崎商業高校に進まれましたが、そちらを選ばれた理由は?

長崎県内には諫早高校という駅伝の強豪校があって、当時は松元利弘先生や藤永佳子先生といった偉大な先生方が指導されていて、そういった方々に教えてもらいたいという憧れがありました。

でもその反面、ずっと全国高校駅伝の県予選で2番の長崎商業高校に入って、諫早高校に勝ってみたいという気持ちもすごく大きくて、結果、長崎商業高校で諫早高校に戦いを挑むほうを選びました。

私の性格として、すごく負けず嫌いなところがあって、特に陸上の勝負となると、負けたくない、強いチームに勝ってみたいという気持ちが人一倍あると思っています。

--競技を続けるうえで大切にされていることはありますか?

いつでも、どういう結果になっても謙虚さを忘れないということは今でも大切にしています。印象的だったのが、中学生時代にコーチが言ってくれた「実るほど頭を垂れる稲穂かな」という言葉。

自分が競技するうえでは周囲の方々に支えられている部分が多いので、いろいろサポートしていただくなかで謙虚な姿勢を忘れてはいけないと感じ、この言葉を常に頭に置いて競技に取り組んでいます。

自分たちが考えた練習メニューで、気持ちをひとつにして全員が取り組むことで、一人ひとりの自信につながっていった。

--諫早高校に勝つためにどんなことをしていったのですか?

私が3年生になったときに特に心掛けていたのが、部内でのミーティングです。勝つためにはコミュニケーションがすごく大事だと思っていたので、一人ひとりのコミュニケーションをとるために3年間で1番多くミーティングをしました。

誰か1人でも違う方向を向いていたらダメで、チーム全員で一つの目標に向かっていく。駅伝を走る人もサポートする人も全員が同じ気持ちで戦うということが一番大事だと思ったので、「気持ちをひとつにさせた状態で目標に向かって頑張ろう」ということを何度も何度も照らし合わせながら、県駅伝に向けてやっていきました。
その結果、3年生のときに挑んだ全国高校駅伝の県予選では、23年連続で県予選を制していた諫早高校を破って優勝することができました。
※廣中選手は長崎県予選では3年連続で1区の区間賞を獲得。最後の大会では一区で2位に1分46秒もの大差をつけてチームを優勝へと導きました。

--実際にトレーニングとして取り入れたことは?

仲間と襷(たすき)をつなぐ駅伝は本当に何が起こるかわかりません。ですが、これまで自分が1区を走ってきた経験から、1区で流れをつくることで、本来自分たちが持っている以上の力が出せると感じていました。もちろん後半に重きを置いているチームもありますが、1区からいかに勢いに乗れるか、前半の動き出しというのは大事になってくると思っていました。
私たちが目標の1つにしていた「全国」に行くために、今の自分たちに何が足りないのか?考えて辿り着いたのが「スピードの強化」でした。そこで3年生になったときに、ジョグ(比較的ゆっくりとしたペースで持久力などを高める練習)の後も、強度が高く刺激のある速いスピードのポイント練習の後も、400m走を1本追加しようと提案して毎日続けました。

その方法は、全員がいっせいにスタートするのではなく、3秒ごとに等間隔でスタートしていって、自分の前にも後ろにも走者がいて、自分がへばると抜かされるという状況のなかで走るというもの。それを毎日継続しておこないました。

400m 1本をチームみんなでやることで、一人ひとりが自信をつけることができました。
陸上競技の場合、駅伝以外は個人種目になるので、本当に気持ちとの勝負と言うか、自分の中で「ああもう今日はダメかも…」って思うとズルズルと楽をしてしまいそうになる面もあって、そういった意味でもチームメートの存在は今でも私の中で大きいですし、1人で走っていても「この選手も頑張っているから自分も頑張ろう」と思えるので、本当に仲間の存在は大きいなと思います。

5000mを走ることでスピードがつくし、スピードがつくと10000mや駅伝のラストで最後まで粘ってもがける。

写真:時事通信提供

--高校卒業後、所属先に日本郵政を選ばれた理由は?

入社前にチームの皆さんと一緒に寮で1泊2日過ごし、練習にも参加させていただくなかで、環境や練習の雰囲気などを見て、このチームと髙橋監督のもとで陸上を続けていきたいと思いました。

実際チームの雰囲気もいいですし、みんなすごく仲がいい。食事のときなど毎日たわいもない話で盛り上がっているけれど、いざ練習になるとみんな集中力を高めて、いい緊張感を持って取り組んでいます。そして、練習後はまた和やかな雰囲気に。

いい切り替えがありながらも、みんなで頑張っていこうという気持ちが強く、練習では切磋琢磨し合える、いいチームだと思います。

--廣中選手は5000mと10000mに取り組まれていますが、2つの種目をおこなうことでプラスになっていることは?

5000mはスピードが必要になってくるので、5000mを走ることでもっとスピードがつくと思うし、スピードをつけると10000mのラストや駅伝のラストで他のランナーと競っているときに最後まで粘ってもがくことができる、というところに繋がっていくと考えています。

トラックとロードでは走る場所も地面の反発の度合いも全然違いますし、シューズもロードだったら厚底、トラックだとスパイクなので、その感覚は違ったりしますが、やっぱり根本的な走リ、走る動作においては一緒。練習で取り組んでいることの全てが、レースに繋がっていると実感しています。

あとはロードでは景色が違って、声援の声が近くにあったり、特に駅伝では襷をつなぐ仲間がいたり、襷をつなぐとなるとさらに湧き上がってくる力はあるなというように感じています。

--アジア大会では陸上女子の主将(キャプテン)を務められましたが、ご自身でいつもと違う感じはありましたか?

キャプテンと最初に聞いたときは本当にびっくりしましたけれど、でも純粋に嬉しいという気持ちもありました。そのなかで私は初日の10000mに出場したので、少しでも自分の走っている姿や頑張りが、後の選手たちに続いてくれたらいいなと。
あとは、チームには2023年2月のアジア室内陸上や8月の世界陸上に出場した選手もたくさんいて、すでに顔見知りでもあったので、キャプテンとして声かけなどは自分から積極的にしていこうと、そこは意識したところです。
キャプテンを任されたことは私自身すごくいい刺激になって、いっそう頑張ろうと思いましたし、キャプテンとしてチームの雰囲気を大事にしていこうと。他の選手たちとたわいもない話などをしながら笑顔でいい雰囲気を作れたらいいなと思っていました。
高校時代に駅伝チームを引っ張っていた頃と重なる部分もあり、どこか懐かしいような気持ちもあって。年齢的には私より上の先輩方もいるなかで、キャプテンに選んでいただいたことはとても光栄でしたし、貴重な経験をさせていただきました。

--陸上の場合、その多くが個人競技(種目)ですが、そのなかでチームの大切さというのをどのように感じてらっしゃいますか?

バスケットボールやバレーボールのようなチーム競技はみんなで連携した行動をするので、必然的にコミュニケーションをとらざるを得ない状況だと思うのですが、陸上の場合、駅伝やリレーのメンバーじゃないと一緒に行動することがありません。

普段はなかなか短距離の選手と一緒になることがなく、これまでは長距離の選手たちで固まりがちでしたが、これを機にお話しして仲良くなれたらと思って臨みました。さまざまな種目の選手たちと会話することで、「あ、こういう考え方があるんだ」と新たな発見もあって、すごく楽しかったです。

競技自体は同じトラックでやっているので、中距離や短距離の選手たちの走る姿を見て私も頑張ろうって思いましたし、私たち長距離の選手が走っているときには、走り高跳びや幅跳びの選手、投てき種目の選手たちから応援してもらえたりして、本当に嬉しかったです。こういった交流があるのも世界大会ならではの楽しさだと思います。

長距離とか短距離とかではなく、陸上という1つのまとまりとして一緒に頑張っていけたらいいなと思っています。

--東京2020オリンピックや世界陸上などを経験されてご自身の走りや考え方などに変化はありました?

東京2020オリンピックはシニア(年齢制限のないカテゴリー)になってからの初めての世界大会ということもあって、すごく緊張しましたし、日本(東京)での開催ということで特別なものがありました。残念ながら新型コロナウイルス感染症の影響で、会場(国立競技場)での応援はありませんでしたが、声援を感じられるような、観客がいるように見えるスタジアムのつくりになっていて、オリンピックならではの特別感を味わうことができました。
レースでは自分のスタイルを崩さずに最初から攻める走りができ、自分にとって1つの自信になっています。
2023年8月の世界陸上(ブダペスト)では、前回(2022/オレゴン)とはレースプランを変えて、後半に重きを置いて走るようなスタイルで挑みました。10000mではこのスタイルで後半も戦えると感じましたが、5000mだとやっぱりスピード勝負。世界の選手はラスト1000mがすごく速くて、そのことを肌で感じられたことは大きな収穫でした。

世界陸上が終わって、もっと世界と戦いたい、もっと強くなりたいと思うようになりましたが、そのためにはスピードが大事だということが明確になりました。
また、大会中に投てき種目のスタッフの方と話す機会があったのですが、その方によると、ご自身が現役のときは、合宿や遠征の際はご自身で世界を転々としていたそうで、実業団という会社の中、組織の中にいる環境は“守られている”よねと。

その話を聞いて、もっと世界に視野を広げたときに、例えば世界陸上のために練習するというより、もっといろんなレースを経験する、海外の小さな記録会や冬季であればクロスカントリーのレースなどに出場して経験値を上げるというのも良いのではないかと、強く思いました。

国体(現国スポ)には県を代表して走る喜びがある。初めてエンジ色のユニフォームを着たときの気持ちをかみしめて走りました。

写真:時事通信提供

--初めて国体に出場した時の印象は?

国体(現:国民スポーツ大会/略称:国スポ)は、自分の県(長崎県)を背負った大会で、当時は緊張もあったけれど、エンジのユニフォームを着て県を代表して走る喜びや、皆さんの声援を受けて走る喜びがあってとてもワクワクしたことを覚えています。

--2022年の栃木国体(第77回)の女子5000mでは惜しくも2位でしたが、ゴールしたときの笑顔が印象的でした

2019年は東京代表としての出場だったので、4年ぶりに長崎県代表として出場させていただいて、再び地元の県代表として走れる、エンジのユニフォームが懐かしいなと喜びを感じていました。私の走りで地元や応援してくださる方々に何か少しでも恩返しといったものを伝えられたらいいなと思って。もちろん優勝できたらそれに越したことはないのですが、エンジのユニフォームで最初に走ったときの気持ちを噛みしめながら走ることができました。

ケガで練習を休んでいると焦りや不安が大きくなってくる。でもそんなときこそ支えてくれる存在が大きい。

--中、高、実業団と環境が変わるなかで、ブレずに強く居続けられる理由は?

試合に向けて突き詰めて頑張ってきた部分もあるので、私も大きな試合が終わったりすると、ふーっと力を抜きたいというか、陸上のことをちょっと一旦おいて、違うところに目を向けたいというときもあります。

特にケガや病気をして走れないときは本当に苦しい時間です。私自身、中学生の頃から貧血があったりして、すべてが順調にいっていたわけではありません。よく「順調だね」と言われるけれど、1年を通してみると波があったりすることが多く、そのなかでも最低限それを無くしたいと思っているので、息抜きをすごく大切にしています。

陸上のことを一旦置いておいて、思いっきり楽しむ時間を設けて気持ちをリフレッシュさせ、次の目標に向けて頑張っていこうという感じでやっています。

社会人になってからは、絶対に「こうしなきゃ(いけない)」という考えをなくすようにしています。例えば「自己ベストを出したい!」という気持ちがあっても、それを出すために「こうしなきゃ」とは思わないように。「しなきゃ」って思うぐらいだったらいっそのことやらない。自分が今どういう状況にあるか、自分の素直な気持ちを大切にしています。

自分が「これがしたい」と思ってやるほうが好きなことが続くと思うので、ちょっとピリピリしているなと思ったら、少し気持ちにゆとりを持って、「もうちょっとやりたいけど…」と思うぐらいのところでやめるようにしています。

--競技生活をする上で心掛けていることはありますか?

長距離選手は走り込んだりするぶん、身体をしっかり休める意味でも睡眠がすごく大事になってきます。あとは、メリハリを大事にしています。

だから部屋にいるときは、リラックスできる時間を大切にしたいと思っていて、大好きなアロマのいい匂いを嗅ぎながらリラックスして眠りについたり、好きな音楽を聴きながらゆっくり過ごしたり。次(の頑張り)につなげるためにリラックスやリフレッシュできる環境を整えるようにしています。

やるときは一心に集中するぶん、しっかりとリラックスする時間をつくる。こうした時間の大切さは、社会人になってから年々強く感じるようになってきました。10代の頃は勢いであれもこれも頑張っていた部分も、自分の身体に聞きながら、例えば、昨日は結構頑張ったから疲れているし、今日はリラックスする時間をちょっと長めにとろうとか。

自分の原動力に繋がっていくように、この頃は身体と相談しながらやっています。

--2023年はアキレス腱をケガされて苦しい時期もあったと思いますが、その際に支えとなったことは?

ケガをして走れないときも自分を信じて待ってくれている人たちの存在ですね。その方々のためにもしっかり治して、またいい走りを見せたいという思いです。

選手は練習を休んでいるとだんだん焦りや不安が大きくなってきて、無理して練習してまた痛めてしまうことがあるのですが、監督やコーチから「いまは焦る時期じゃないから確実に治していこう」と言ってもらえたり、私が焦っていると感じた同期の選手たちからは、たわいもない話で笑顔にさせてもらったり。両親もそうですね、電話でその日あったことなどを話して悩みを聞いてもらったりして。本当にいろんな人に支えられてきたなと感じています。

ライバルだけどゴールしたあとは健闘を称え合う。私たちも走ることの楽しさやスポーツの素晴らしさを伝えていきたい。

写真:時事通信提供

--廣中選手にとって印象的なレースは?

2023年の世界陸上の初日、10000mでトップを走っていたシファン・ハッサン選手(オランダ)がゴール手前で転んでしまって。ハッサン選手自身、悔しさを見せずに他の選手たちを称える姿や、2番のエチオピアの選手がハッサン選手のところに駆け寄ってきてハグをしている姿を見て、スタート前はライバルで、勝ち負けが絶対についてしまう競技だけれども、レースが終わったあとは相手を称え合う光景が本当に素敵だなと思いました。

ハッサン選手は私の憧れです。競技者としても近づきたいですし、人としての素晴らしさに感動して、人間的にも近づきたいと強く思いました。

--所属先の日本郵政は「スポーツの力で日本を元気に」とスローガンを掲げられていますが、廣中選手の元気の源は?

チームメートたちも種目によっては出場するレースも違うし、合宿とかも別々になることがあります。でも、そうしたときでもそれぞれ情報は送られてくるので、みんなが頑張っている様子を知ることができ、そうした仲間の頑張りが私の活力にもなっています。

チーム全体としては、私たちの走りを通じて皆さんに元気や勇気を届けられたらいいと思っています。また、私たちの走りを見て「自分も走ってみたい」と思ってもらえたり、みなさんに「応援したくなる」と思ってもらえたりするように、チームのいい雰囲気をどんどん発信していくことが、次世代の方たちにも繋がっていくように思います。

まずは自分の走りを磨きながら、今後、チームとして陸上教室を開くなどの活動ができたらいいなと思っています。

--今後の目標について

これからもパリ2024オリンピックだったり、2025年に東京で開催される世界陸上だったり、色々と試合は続いていきます。まずは、5000mと10000m、私の好きな両方の種目で世界と戦うことを根本として、そこに向けて参加標準記録の突破を視野に入れながら、日々の練習、継続第一でやっていきたいと思っています。

〈廣中 璃梨佳 選手プロフィール〉

廣中 璃梨佳(ひろなか・りりか)
長崎県出身。2000年11月24日生まれ。
日本郵政グループ女子陸上部所属。
自己ベスト:5000m:14分52秒84(日本歴代2位) 10000m:30分39秒71(日本歴代2位)

主な戦績:
【2023年度】第19回アジア競技大会(杭州)女子5000m:第2位 女子10000m:第2位/世界選手権(ブダペスト)女子5000m、女子10000m決勝:第7位入賞/日本選手権10000m:優勝(3連覇)
【2022年度】世界選手権(オレゴン)女子5000m、女子10000m日本代表/日本選手権 女子10000m:第1位 女子5000m:第2位 
【2021年度】第32回オリンピック競技大会(2020/東京)女子5000m決勝:第9位(14分52秒84 ※日本新記録)女子10000m決勝:第7位入賞 
【2020年度】日本選手権 女子5000m:第2位/全日本実業団 女子ジュニア3000m:優勝、女子5000m:3位(日本人2位)
【2019年度】日本選手権 女子5000m:第3位/全日本実業団 女子ジュニア3000m:優勝/全国都道府県対抗女子駅伝 長崎県代表 第1区:区間1位(区間新記録)