【女子バスケットボール・髙田真希選手インタビュー】「苦しいときでも一歩前へ」の気持ちでつかんだポジション。これからも向上心を持って歩んでいきたい

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【女子バスケットボール・髙田真希選手インタビュー】「苦しいときでも一歩前へ」の気持ちでつかんだポジション。これからも向上心を持って歩んでいきたい
(C)DENSOIRIS

東京2020オリンピックで女子バスケットボール銀メダルに輝いた日本女子バスケットボール代表チーム。そのチームをキャプテンとしてまとめていたのが、デンソーアイリス所属の髙田真希選手。ガッツあふれるプレーでもチームを引っ張る髙田選手ですが、初めてキャプテンを任されたのは、20代後半になってから。もともとは人見知りで人前に出るのは苦手なタイプだったそうです。
困難な壁にぶつかっても、「無理」とは思わず、つねに「どうしたらいいか」と考え、行動し、道を切り拓いてきた髙田選手に、バスケットボールにまつわるさまざまなお話を伺いました。

長身を活かせるスポーツをしようと、中学ではバスケットボール部に入部

--幼少期の頃はどんなお子さんだったのですか?

私には2つ上に兄がいるのですが、小さい頃から兄や兄の友達たちと遊ぶことが多かったですね。でもさすがに保育園や小学校の頃だと、2つ上の男の子と2つ下の女の子では何をしてもこっちが負けてしまう。たとえば、鬼ごっこをしてもすぐに捕まってしまいます。
自分はすごく負けず嫌いなところがあったので、悔しいと思い「2つ上の男の子相手にどうやったら勝てるのか?」ということをつねに考えながら遊んでいました。
こうした「今の状況をなんとかしよう」と自分で考えて行動する習慣は、バスケットボールを続ける上でもすごく役に立っています。
身体を動かすことが大好きでアクティブに遊ぶいっぽうで、性格的にはかなりの人見知りで、人前に立つことが苦手なタイプでした。

--バスケットボールとの出会いは?もともとスポーツが好きだったのですか?

はい。子どもの頃から身体を動かすのが好きでしたし、私が通っていた小学校には部活動のようなものがあり、バスケットボールや器械体操、バドミントンなど3ヵ月ごとにいろいろなスポーツを経験することができました。
また、小学4年生から中学3年生までは空手道場にも通っていて、出場するほとんどの大会で優勝するなど、かなり本格的に打ち込んでいました。
本格的にバスケットボールを始めたのは中学生になってから。身長が高くて背の順はつねに一番後ろだったので、部活動を選ぶ際、長身を活かせるスポーツをしようと思いました。バレーボールも考えたのですが、結局、小学生の頃に少しだけ経験のあるバスケットボールを選びました。

バスケットボール選手になりたいと思い、高校はバスケットボールの強豪校へ

--高校進学時には空手かバスケットボールかで悩まれたそうですね?

中学校のバスケットボール部はそれほど強いチームではありませんでした。いっぽう同時に続けていた空手ではいい成績を残せていたので、高校進学の際は空手かバスケットボールかで迷いました。
どちらも好きで続けていきたかったのですが、「将来仕事にしたい」と考えたときに、迷いなくバスケットボールを選び、バスケットボール選手になるためには強豪校で学びたいと思い、桜花学園に進学しました。
桜花学園に進学する際、周囲から「桜花でやっていくのは厳しいのでは?」という声もありました。実際に入学前に体験として練習に参加させてもらったときには、あまりのレベルの高さに自分の技術のなさを痛感しましたし、プレー中に飛び交うバスケットボールの用語もわからなかったので、ここでの練習についていけるか不安でした。
ただ、高校のトップレベルの選手たちとプレーしてみて、唯一リバウンドだけは通用するという手応えがありました。そのときに、リバウンドを自分の武器にしようと思い、他のことが上手くできなくても、リバウンドだけは負けたくないと思うようになりました。
所属先のデンソーアイリスでは、チームネームで「リツ」と呼ばれていますが、これは「バウンドをよくとる」が由来となっています。

--「無理」ではなく、「どうしたらいいか」と考えて、行動する

自分でも覚悟して臨んだものの、全国でもトップチームで各地から優秀な選手が集まってくる桜花学園のバスケットボール部は、先輩はもちろん、同級生たちもレベルが高く、はじめの頃はまったく練習についていけませんでした。
このときばかりは、人生で唯一バスケットボールを辞めたいと思いました。
でも、自分で決めた道なのでとにかく3年間最後までやり通そうと。そこで「まわりについていくにはどうしたらいいか?」と考え、夕食後みんなが休んでいる間に少しでも追いつこうと1人体育館で自主練をするようになりました。
自主練を続けているうちに、少しずつ練習についていけるようになり、同時に試合に出たいという思いもだんだんと芽生えてきました。今にしてみると、この頃が一番バスケットボールを頑張っていたように思います。

--苦しいときでも一歩前へ

練習についていけるようになるまでは本当に苦しかったですが、こうした苦しい場面では、かつての空手の教えを思い出します。
私が通っていた道場には、「苦しいときでも一歩前へ」というスローガンがありました。
私がやっていた空手は、実際に突きや蹴りを相手に効かせるフルコンタクト空手だったので、相手に攻められて下がってしまうと印象が悪くなり、判定で不利になってしまいます。
だから苦しくても一歩前へ出る。苦しいときこそ一歩前へ進もうとする気持ちが自然と身についたことは、バスケットボールを続ける上でとても役に立っています。
空手をやっていたおかげで、体幹が強くプレーでも当たり負けしないことは周りの選手からもよく言われますが、私としては精神的に鍛えられた部分が大きいと感じています。

好きな言葉は「自信」。井上監督が気づかせてくれた自分を信じることの大切さ

(C)DENSOIRIS

--高校時代に学んだことが自分のバスケットボールのベースになっている

桜花学園バスケットボール部の井上監督は、レギュラーメンバーだけではなく、試合に出られない選手にもしっかり目を向けてくれて、できない私に対しても根気強く丁寧にいろんなことを教えてくれました。
井上監督は口だけでなく身振り手振りで教えてくれるので、私としては吸収しやすかったですね。当時は苦しかったけれど、監督の期待に応えたいと思っていました。
今となっては、井上監督の教えが私のバスケットボールのベースになっているので、桜花学園に進んでよかったと思っています。
あるとき、練習中に井上監督から「“自信”と声に出して10回言ってごらん」と言われたことがあります。その時は突然のことに、言われた通り「自信、自信、自信…」と10回連続して体育館中に響き渡るくらい大声で言いましたが、あとになって、きっと自分が自信ないようなプレーをしていたのを見てそういってくれたのだと思いました。
「自信」とは文字通り「自分を信じる」こと。試合の中でも最後に信じられるのは自分のことですし、自信をもって思いっきりプレーすることの大切さを教えてもらいました。以来、サインを求められた時には、好きな言葉として「自信」と書き添えるようにしています。

--高校のときに国体に出場されていますが、国体にはどんな思い出がありますか?

国体は地元の都道府県を代表して戦うスポーツ大会ですから、インターハイやバスケットのウインターカップなどとも少し違った独特の雰囲気があると感じていました。
愛知県を代表して出場するわけですし、高校生ながらに「しっかり勝って地元地域の皆さんに元気を届けたい」という気持ちを持てたので、高校生のうちからとてもいい経験をさせてもらったと感じています。

キャプテンはさらなる成長のきっかけに。人って変われるんだなと思った

--東京オリンピックではキャプテンを務められましたが、苦労されたことや心がけていたことなどはありますか?

フィジカルの強さというのはどの国に対しても日本チームが劣ってしまう部分なので、そこをカバーするためには、やはり「チーム力」が大切だと考えていました。
もともと全日本に選ばれる選手たちは技術的なものはすでに持っているので、そういった意味では精神面のサポートとして、率先してチームに声をかけたり、悩んでいる選手がいたらその選手に声をかけたりするようにしていました。
自分が率先してやることで、それぞれの選手が自分たちの個性を出しやすく、自分の力を発揮しやすい環境や、同じ熱量を持ってチームがひとつになれるような雰囲気づくりを心がけました。
たとえば、誰かがミスしたり自分がミスしたりしたとき、ミスに対してフラストレーションが溜まってしまうと余計に点差が開いてしまうので、気持ちを切り替える意味でも「よし次行こう!」とか「ここ守っていこう!」とか、「ここ強く攻めていこう!」という感じに、ポジティブな声がけを心がけていました。
こういった意識は、自分がキャプテンをやり始めてから、少しずつ芽生えてきた部分です。そこから自分で考え、いろいろなことを学び経験してきたことがオリンピックで活かされたと思っています。

--キャプテンのイメージが強い髙田選手ですが、初めてキャプテンを任されたのは?

私の場合、もともとは人前に出るのが苦手で、キャプテンをするようなタイプではなかったので、デンソーアイリスでキャプテンを任されたときは、自分にできるかなと正直不安でした。
ただ、自分もすでに中堅選手でしたし、キャプテンを引き受けることで、自分もチームも大きく成長できるのではと考えました。
自分がキャプテンをするようになって、率先して声を出したり、周囲に目配り気配りするようになり、人って経験で変われるんだなということを実感しています。
私のようにキャプテンを任されて不安に感じている人に伝えたいのは、キャプテンは誰もができることではないということ。キャプテンをやってほしいと声をかけた人は、その人に何かを感じて声をかけたと思うので、上手くできるか・できないかを考えるよりも、まずは挑戦してみてほしい。
自分で試行錯誤しながらやっていくことで、きっと自身の大きな成長につながると思います。

--バスケットボールをする上で髙田選手が大切にしていることは?

試合で勝つためには、自分は準備が大事だと思っています。当たり前のシュートこそ当たり前に決めなくてはいけないと思っているので、普段からつねに試合を想定して、集中して練習するようにしています。そうすることで、本番でも普段の練習通りのプレーができるようになります。
また、どんなことでも自分の限界を決めてしまうのはすごくもったいないと思います。私自身、女子のバスケットボール界では年齢が上のほうになりましたが、いまでも「もっと上手くなりたい!」と思っています。
現状に満足してしまったり、年齢によって思い通りに動けなくなってしまったりするとプレーの質が落ちてしまいます。だから、何歳になってもつねに向上心を持っていたいと思います。
向上心を持っていれば、競技自体も楽しいですし、日常生活でも活力が湧いてきて、人生をより楽しめるようになると感じています。

バスケットボールの魅力をいろんな人に伝えて、もっと普及させていきたい

--髙田選手にとってスポーツやバスケットボールの魅力とは?

私の場合、空手とバスケットボールをおこなってきたので、個人競技の空手とチーム競技のバスケットボール、それぞれに魅力を感じています。
空手は個人競技なので、自分の頑張り次第で結果が左右されてくる部分があって、自分自身に責任があり、その分やりがいも大きいと感じていました。
バスケットボールは1つのボールをみんなでつないでいってシュートしたり、みんなで守ったり。同じ目標に向かって練習の辛さも勝利の喜びもみんなで分かち合うというチーム競技ならでは楽しさがあります。

--スポーツを楽しむ上では指導する側の「指導力」が重要

バスケットボールに限らず、スポーツを楽しむ上では指導する側の「指導力」が問われると思っています。知識や経験が少ない指導者の場合、一辺倒の指導になりがちですが、知識や経験が豊富な指導者の場合、こういう子にはこっちの指導が合うよね、こういう伝え方のほうが合うよね、と対象者の技術レベルや個性によって教え方を変えることができます。
スポーツを本当に楽しんでもらう、好きになってもらうためには、指導者の引き出しをたくさんつくることが大切だと思っているので、ひとつの考え方だけに縛られずに、いろんな知識を得て、学んでいってほしいと思います。

--現役選手でありながら起業(株式会社TRUE HOPEを設立)された理由は?

アスリートのセカンドキャリアとして、自分は何をしたいのか、自分が楽しめる仕事ってなんだろうと考えたとき、選手を引退したあともバスケットボールを続けていきたいと思い、もっとたくさんの人たちにバスケットボールを普及したいと考えるようになりました。
もちろん、引退してからのほうが時間はとれますが、時間が経つにつれて自分の名前も忘れられてしまうので、影響力のある現役でいるうちに動き始めようと2020年に株式会社TRUE HOPEを設立しました。
私が子どもの頃には、実業団や日本代表選手に会える機会はなかなかありませんでした。ですが、もしその時代にトップ選手に会えていたら、解決できる悩みもあったのではないかと感じていたことがあります。
自分との交流を通じて、「バスケットボールって楽しいな」って思ってもらえたり、その人に「よし自分も頑張ろう!」って思ってもらえたり、そんな存在になれたら嬉しいですね。

JSPOフェアプレイニュースにも掲載

JSPOでは、全国の小中学校等に向け、フェアプレーの大切さを伝える壁新聞を発行しています。Vol.143では髙田さんのフェアプレーエピソードや、子どもたちへのメッセージなどを掲載していますのでぜひ併せてご覧ください。

プロフィール

髙田真希選手プロフィール
髙田真希(たかだ・まき)
愛知県豊橋市出身。1989年生まれ。
小学4年生から始めた空手と両立しながら中学から本格的にバスケットボールを始める。高校はバスケットボール界の名門・桜花学園高等学校に進学し多くの全国タイトルを獲得。卒業後はWリーグ(日本女子バスケットリーグ)の世界へ。
2009年には日本代表初選出。2018年から代表キャプテンを務め、2021年に開催された東京オリンピックでは大会史上初となる日本の銀メダル獲得に大きく貢献した。
また、現役のバスケットボール選手としてこれまで培ってきた経験を次世代の子どもたちに伝えていく機会をさらに増やしていきたいという想いから株式会社TRUE HOPEを設立し、競技の普及にも力を入れている。デンソーアイリス所属。